強制徴募隊と海上での強制徴募
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 02:48 UTC 版)
「強制徴募」の記事における「強制徴募隊と海上での強制徴募」の解説
強制徴募隊は、国民を軍務につかせる国王の権力に基づき、水夫を強制的に海軍の艦船に勤務させるために組織された(当時は兵には「海軍に所属する」という意識は無く、その都度報酬を得て艦船に勤務した)。自ら志願した者には、強制徴募された者とは異なり、前払いで報酬が支払われた。また、未払いの債務や軽犯罪を帳消しにする目的で海軍に志願する場合もあったが、海軍勤務の辛さも知られており、死刑との二者択一でも、死刑の方を選ぶ囚人もいたという。 陸上での強制徴募は、必要な時に古参の尉官を隊長とする徴募隊が編成された。町の適当な酒場を臨時の駐屯地として借り上げ、まずビラやポスターにより志願者を募った。強制徴募隊が集めた水夫の約半分は強制徴募者でなく志願者であり(徴募という好ましからざる事態の中で可能な限り有利になるようにし、また志願報奨金も得られるように、やむなく志願した場合もあっただろうが)、人気のある艦長や士官の場合は、水夫からしばしばその船に乗組みたいと請われることもあった。 必要な人数に達しない場合、町で見かけた徴募に適した人間を力ずくで駐屯地に収容した。徴募隊は「プレス・ギャング」と呼ばれ、イギリス市民に(アメリカの植民地の場合と同様に)一貫して嫌われていたので、地方当局はしばしばこれに抵抗し、強制徴募隊の士官を拘束したり、武器を取って彼らに対抗することまであった。 海上での徴募は目標の商船の船首に徴募船を衝突させ、乗り込み隊を送り込む臨検と同様のやり方だった。乗船契約書や免除証明書などを調べ、船の運用に最低限必要な人員以外は徴発された。また、徴募隊が水兵として不適格な人員を代替要員として送り込み、有能な船員を徴募する場合もあった。海上では航海を終えた商船から水夫を強制徴募した。往路の船からは徴募しないという取り決めがあったが、必ずしも守られなかった。海上徴募船は全国の港を監視しており、王室直属の徴募船もあった。
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