弁論・思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 15:54 UTC 版)
「ヘロデス・アッティコス」の記事における「弁論・思想」の解説
ピロストラトスによって第二次ソフィストの筆頭に位置づけられ、「弁舌の王」「ギリシアの舌」とも称されたが、その弁論はほぼ全て散佚している。 わずかに残る弁論として、ゲッリウス『アッティカの夜』19巻12項においてラテン語訳された断片(わが子の早逝を背景にストア派のアパテイア論を揶揄する弁論)や、真作か定かでない『国制について』(英: On the Constitution, ペロポネソス戦争を題材にした習作的弁論)がある。 弁論術や哲学を、半陰陽のソフィスト兼哲学者のファウォリヌス(英語版)(パボリノス)に学んだ。ファウォリヌスが没した際は、ローマの邸宅・蔵書・インド人奴隷を遺贈された。ヘロデスの学者仲間に、アウルス・ゲッリウス、マルクス・コルネリウス・フロント(英語版)、ラオディケイアのポレモン(英語版)、アテナイのセクンドス(哲学者のセクンドス(英語版)と同一人物か不明)がいた。ヘロデスの教え子に、マルクス・アウレリウス、アエリウス・アリステイデス(英語版)、カエサレアのパウサニアス(地理学者のパウサニアスと同一人物か不明)がいた。 ピロストラトスによれば、即位直後のハドリアヌスの面前で弁論したが失敗した。また、三十人僭主のクリティアスをアッティカ散文の名手として再評価していた。 ゲッリウスによれば、あるときヘロデスのもとに「哲学者」を名乗る物乞いが訪れた。ヘロデスは、その物乞いが「長い髭とギリシア風の外套」という典型的な哲学者の装いだけで「哲学者」を名乗っていることを非難しながらも、気前よく大金を与えたという。このエピソードが由来となり、ラテン語の成句「髭は哲学者をつくらない(英語版)」(Barba non facit philosophum)ができた。 またあるとき、ゲッリウスがアテナイ近郊のケピシア(現・キフィシア(英語版))にあるヘロデスのヴィラに招かれた際、同席した若者がストア派の知識を饒舌に語って辟易していたところ、ヘロデスは自身のストア派知識を用いて巧みに黙らせた。
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