建築物の廃墟化と墓地としての利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 06:15 UTC 版)
「ハート島 (ニューヨーク州)」の記事における「建築物の廃墟化と墓地としての利用」の解説
元々ハート島の墓地は島の北端と南端の45エーカー (18 ha)のみであり、中央部の3分の2は居住可能な場所だった。1985年には、エイズで亡くなった16人の遺体が、他の遺体がエイズで汚染されると考えられたため、既存の墓地から離れたハート島の南端に埋葬された。ニューヨーク市で最初に死亡した小児エイズ罹患者は、ハート島で唯一、単独の墓に埋葬されており、コンクリート製の墓石には"SC B1"(special child Baby 1の略)と刻まれている:83。それ以降、何千人ものエイズによる死亡者がハート島に埋葬されたが、島に埋葬されたエイズ罹患者の正確な数は不明である。 ニューヨークのアーティストであるメリンダ・ハントと写真家のジョエル・スターンフェルド(英語版)は、1991年から1993年にかけてハート島を撮影し、1998年に写真集"Hart Island"を刊行した。ハントはその後、ハート島に埋葬された人々の家族や友人を支援する組織「ハート島プロジェクト」を1994年に設立した。ハントの別のメディア作品である2018年のドキュメンタリー"One Million American Dreams"では、ハート島の歴史を記録し、そこに埋葬された様々な人々の人生を掘り下げている。 19世紀後半から20世紀初頭にさかのぼる古い木造や石造の建造物が荒廃している地区がある。南北戦争時代の兵舎は、ワークハウスや病院の建物が建設される前にこれらの施設として使用されていた。2010年代後半、ハート島プロジェクトとシティ島歴史協会は、ハート島を国家歴史登録財 (NRHP) に登録するよう請願を開始した。ハート島がNRHPに登録されるための4つの基準のうち3つを満たしていたことから、ニューヨーク州公園・レクリエーション・歴史的保存局(英語版)は、2016年にハート島を"site of historical significance"(歴史的意義のある場所)に指定した。 ハート島は2012年のハリケーン・サンディにより大きな被害を受けた。海岸線の一部が浸食され、埋葬されていた多くの遺骨が露出した。これを受けて、市は海岸の修復を発表した。連邦政府は2015年に海岸の修復プロジェクトに対し1320万ドルを拠出したが、作業は数年遅れていた。修復作業の開始は当初2020年とされていたが、2019年8月、市は翌月から作業を開始すると発表した。同年12月、ハート島の管理はニューヨーク市公園レクリエーション局(英語版)に引き継がれた。
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