延喜加持の巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 15:39 UTC 版)
寸法31.7cm×1290.8cm 命蓮の加持祈祷の力で、病の床にあった醍醐天皇の病いが平癒する。剣の護法童子が空を飛び、転輪聖王の金輪を転がし、後ろに飛行機雲のような細長い雲を残して、天皇のいる清涼殿に現れる。 (詞書の大意)言われたとおり、一俵の米俵を鉢の上に乗せると、米俵は飛び上がった。続いて、残りの米俵も群れ雀のように後に続いて飛び去り、麓の長者宅に落ちたのであった(以上の内容を表す絵は「山崎長者の巻」の巻尾にある)。 このように、法師が仏道に励んでいた頃、都では延喜の帝(醍醐天皇)が重い病に苦しんでいた。さまざまの祈祷や修法、読経をしても全く効き目がない。ある者がこう言った。「大和の信貴山という所に住む聖(命蓮)は大変な験力の持ち主で、里へ下りることもせず、法力で鉢を飛ばしたりして、山に居ながらいろいろの不思議なことを行うそうです。この者を召して祈祷させれば、帝の病も癒えることでありましょう」。「ならば、その僧を呼び寄せて祈らせよ」ということで、帝の使者の蔵人が信貴山へ行き命蓮に面会した。蔵人は命蓮に事情を話し、帝のもとに来て祈るようにとの宣旨を伝えたが、命蓮は山を下りる気はさらさらなく、信貴山に居ながらにして祈祷するという。「それでは、帝の病が癒えたとて、それが貴僧の祈りの効き目であると、どうやってわかるのか」と蔵人が問うと、命蓮は言った。「帝の病が癒えた時には、『剣の護法』という童子を遣わしましょう。剣を編み綴って衣のようにまとった童子です」。 それから3日ほど経て、帝が夢うつつでまどろんでいると、きらりと光るものがやってくる。これが法師の言っていた「剣の護法」であった。それから、帝の病はすっかり癒えて、気分もさわやかになった。帝は喜んで、信貴山へ使いを走らせた。使者は命蓮に面会し、「感謝のために僧都、僧正の位を与え、荘園を寄進したい」との帝の意向を伝えるが、命蓮は「僧都、僧正の位などは拙僧には無用である。また、荘園などを得ると、管理人を置かねばならず、仏罰にあたりかねない」と言って、固辞した。
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