庵野の独立
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辞任した澤村に代わり、もう1人の代表取締役だった山賀博之が社長を引き継いだ。2001年には『まほろまてぃっく』(シャフト共同制作)、2003年には『プリンセスメーカー』のアニメ化作品である『ぷちぷり*ユーシィ』(AIC共同制作)を発表するなど、他社との共同制作ながらもテレビアニメシリーズの元請実績を重ね、OVA『フリクリ』(2000年-2001年、プロダクションI.G共同制作)も話題作となった。2003年には本社を武蔵野市中町2丁目から小金井市本町6丁目に移転。武蔵小金井駅南口第1地区第一種市街地再開発事業に伴い、2006年には小金井市梶野町1丁目に設けた仮設社屋に再移転した。同時期、『熱風海陸ブシロード』のアニメーション制作を担当予定することが発表されたが、原作者の死去に伴い企画自体が凍結となった。2004年から2006年にかけて、ガイナックス設立20周年記念作品として単独元請のOVAシリーズ『トップをねらえ2!』を発表した。この時期、ガイナックスの経営は取引先である大手2社の増資と『エヴァンゲリオン』のパチンコ化による収入を得て持ち直した。 創業時から作品制作の主軸を務めてきた庵野秀明は、脱税事件をきっかけに取締役に就任し、経営改革に乗り出したが、給与体系や社内システムの改善を進言しても自身の意見は顧みられず、なお続くガイナックスの放漫経営に強い不信感を抱いた。庵野は自身の意思を経営に反映し、スタッフに資金を分配できる場が必要だと考え、2006年9月、アニメ制作スタジオ「カラー」を設立し、翌2007年10月にはガイナックス取締役を辞任して退社。庵野に追随して主力スタッフの鶴巻和哉、摩砂雪らもカラーへ移籍した。この時、庵野がガイナックス時代に手がけたエヴァンゲリオンの版権もカラーが持つ形となり、2007年9月公開の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』以降の『新世紀エヴァンゲリオン』再構築シリーズ(ヱヴァンゲリヲン新劇場版)は、カラーが自己資金で製作した。一方ガイナックスは、庵野が在籍中に手がけた作品の商品化を引き続き行う契約を結び、その収入から使用料をカラーに支払うとした。
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