幼いディオニューソスを抱くヘルメス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 01:35 UTC 版)
「プラクシテレス」の記事における「幼いディオニューソスを抱くヘルメス」の解説
ブリタニカ百科事典第11版にはこんなことが書かれている。 「我々のプラクシテレスの知識にすばらしい追加情報が得られ、ようやくのこと、満足いく基礎ができた。1877年、オリンピアで、プラクシテレスの手になる彫刻『幼いディオニューソスを抱くヘルメス』が発見されたのである。この彫刻は世界で最も有名なものとなった」 しかし、その後は賞賛ばかりではなくなる。たとえば彫刻家アリスティド・マイヨールは、「ポンピエだ。ぞっとする。マルセイユ産の石鹸で作った彫刻だ」と非難した。1948年、Carl Blümelは『プラクシテレスのヘルメス』という学術論文を出版し、ローマ時代に作られた複製だという以前(1927年)の意見を撤回し、4世紀のものでもヘレニズム期の彫刻家、ペルガモンの若いプラクシテレスのものでもないこともわかったと書いた。 この彫刻が見つかった遺跡は、パウサニアスが2世紀後半に問題の彫刻を見た場所だった。そこに記述されたヘルメスは、ディオニューソスを、養育を委ねたニュンペーたちのところに運んでいる姿であった。失われた上に掲げた右手は、子供の欲望を刺激する一房のブドウを子供に与えようとしていると考えると、テーマにぴったりはまる。1882年、C. Waldsteinは、ヘルメスの視線が子供の向こうを見ていることに注目し、「外見のしるしは内面で夢見ていることは明らかだ」と述べた。なお、この彫刻は現在、オリンピア考古学博物館(Olympia Archaeological Museum)に展示されている。 この彫刻はローマの彫刻家による複製だという反対意見がなされた。この作品が、ローマ人がギリシア文化・美術の多くを借用していた時代のものである可能性は確かにある。Mary Wallaceは、サンダルの形から、作られた時期は2世紀で、場所はペルガモンだと指摘している。他にも、未完成の背中、布のひだ、巻き毛を作る技術から、この彫刻の出自をつきとめようとする研究者たちはいたが、どれも決定打とならないのは、ローマの彫刻にもギリシアの彫刻にも例外というものがあるからである。
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