巨人軍へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:26 UTC 版)
“飛雄馬退学”の話はいつしかプロ野球界を席巻し、花形が飛雄馬を推薦する私信と血染めのボールを川上監督に送ったことで、飛雄馬の負傷も世間に知られる事となった。飛雄馬は「花形が約束を破った」と受け取ったが、実際は川上監督の反応を記者が偶然聞いただけだった。巨人を除くほとんど全球団のスカウトが飛雄馬の家(長屋)に集結した。中には「契約金一千万円」の話も出た。しかし、巨人は「決勝戦で怪我をするということはどこかに欠陥があるということだ」という川上の鶴の一声もあり、訪問しなかった。なお、血染めのボールが送られる前にも、学園を除名処分にされた飛雄馬を憐れんで広島からスカウトが来ていた。 高校を退学し、伴とも絶交させられ全てを失った飛雄馬の心は、寂しさのあまり「自分を認めてくれる球団がある」と一時他球団へも動いた。しかし一徹は飛雄馬の気持ちを叱責し「入団すべき球団は巨人あるのみ」と他の球団のスカウトを完全拒否。川上監督も「親子二代に渡って巨人から締め出すことになる」とペナントレースの真っ只中に入団テストを執行する。狙いは星飛雄馬がテストを受けに来る事。飛雄馬は父のスパイクを履き、多摩川グラウンドに向かう。 闇討ち事件の真相を知った伴も、飛雄馬に謝り、仲直りをして供に巨人の入団テストを受ける。100m走でテスト通過後、速水譲次が現れ、圧倒的なタイム差をつけられる。しかし投球テストで逆に差を付ける。最後の速水と飛雄馬の勝負で、速水の妨害を父の編み出した魔送球で討ち取り正式合格(速水も伴も補欠合格)。 1967年秋に巨人にテスト生として入団を果たし、その後に努力と将来性を認められて遂に正選手となる。この時、川上哲治の永久欠番である“背番号16”を引き継いだ。なお、飛雄馬が入団テストに合格した直後、川上監督は星家に直行し父一徹に詫びを兼ねて、飛雄馬を北条時頼「鉢の木」に例えた話をする。早く戻りすぎた飛雄馬は裏方でその話を聞き、自分に偉大な理解者がいたと感動する。また“背番号16”を引き継いだ話もしているが、これは後に飛雄馬が大リーグボール1号を打たれた後に、姉の明子から聞かされる。
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