工学と創案に関する手稿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:48 UTC 版)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の記事における「工学と創案に関する手稿」の解説
存命時のレオナルドは工学技術者としても評価されていた。ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに宛てた書簡で、レオナルドは自らのことを都市防衛、都市攻略に用いるあらゆる兵器を作ることができると書いている。1499年にフランス軍に敗れたミラノ公国からヴェネツィアへと避難したレオナルドは、当地で工学技術者の職を得て、都市防衛のための移動要塞を考案している。また、ニッコロ・マキャヴェッリも参画していたアルノ川流路変更計画にも、土木技術者として加わった。レオナルドの手稿には、数多くの現実的あるいは非現実的な創案があり、楽器ヴィオラ・オルガニスタ(英語版)、水圧ポンプ、迫撃砲、蒸気砲などの創案が含まれている。 1502年にレオナルドは、オスマン帝国スルタンのバヤズィト2世が構想した土木工事計画のために長さ200メートルにおよぶ橋の設計図を制作している。この橋はボスポラス海峡入り江の金角湾に架けられる予定だった。しかしながらバヤズィト2世はこのような大規模な土木工事は不可能だとして、この工事計画を承認しなかった。このときレオナルドがデザインした橋は、2001年にノルウェーで実施されたレオナルド・ブリッジ・プロジェクト(英語版)で実際に建設された。 レオナルドはその生涯を通じて空を飛ぶことを夢見ていた。1505年頃の『鳥の飛翔に関する手稿(英語版)』などで鳥の飛翔を研究し、ハンググライダーやヘリコプターのような飛行器具の概念図を制作している。イギリスのテレビ局チャンネル4は2003年のドキュメンタリー番組『レオナルドが夢見た機械』(Leonardo's Dream Machines)で、レオナルドの手稿に残る設計どおりに様々な器具を製作した。設計どおりに動作したものもあれば、全く役に立たないものまで様々な結果となった。1506年にレオナルドと彼の友人でもあり、共同研究者でもあるトマス・マシニ(英語版)はフィレンツェ共和国のチェチェリ山で飛行実験を行うも失敗した。
※この「工学と創案に関する手稿」の解説は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の解説の一部です。
「工学と創案に関する手稿」を含む「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の記事については、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の概要を参照ください。
- 工学と創案に関する手稿のページへのリンク