島のろう者の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 09:20 UTC 版)
「マーサズ・ヴィンヤード手話」の記事における「島のろう者の生活」の解説
MVSLの依存者は異質とは言え、一般的な同島の居住者として聴者と等しく実生活を送ることができた。ろう者は複雑な労働にも単純な労働にも就き、島の各種イベントに参加し、コミュニティにも加わっていた。この点が世界の他のろう者コミュニティとは対照的である。メキシコの地方のろう者によく似たコミュニティがあるが、そちらに永続的に生活する聴者は僅かであり、他のろう者のコミュニティは、聴者の人々から孤立していることがしばしばである。この時代の同島のコミュニティは、聴者のコミュニティと融合した例外事例である。 ろう者のMVSL使用者は、同島のろう者以外から除け者にされることはなかったが、ろうであるが故に直面する課題もあった。ろう者と聴者の結婚は共にMVSL使用者であったとしても、結婚生活の維持には非常な困難が伴った。その為にろう者間の結婚が普通で、結果として同島の近親交配の割合を高めることになった。MVSL使用者達は互いに親しくよく連携し、他のろう者にろう故の課題がある際はそのために助け合い、協力して解決を図った。MVSL使用者達はコミュニティのイベントを盛り上げることを通じて、聴者の若者にMVSLをより理解できるように教育した。この手話は、聴者の子供にもその幼少期に使用され、入学時に接する多くのろう者とのコミュニケーションを取れように教え込まれ、唇の動き、手の動き(ジェスチャーとしての手振り)、慣用される身振り、顔の表情などが教えられた。MVSLを習う夏期学校(サマースクール(英語版))も存在した。聴者はろう者がその場にいない時でも手話を用いた程で、例えば学校で生徒が教師の目を盗んで会話したり、大人同士でも教会の説教の最中に手話を行ったり、農夫が広い畑で子供達と手話で会話したり、互いの声が届かない海を行き交う船上から漁師が手話で会話を行った。しかし島外ではろう者は差別され、これがろう者が地元に受け入れられるように努め、また人工内耳が当初使用されなかった理由でもある。
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