山田洋行事件と防衛省改革
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2007年(平成19年)11月27日、守屋武昌が東京地検の事情聴取を受け、軍需専門商社である山田洋行の元専務からゴルフ旅行などの接待を受けた見返りに防衛装備品の調達で便宜を図った疑いが強まったとして、妻と共に収賄容疑で逮捕された。それだけで終わらず守屋は庁の頃からゴルフ旅行などを行っており、かつての長官(久間章生、額賀福志郎)も事件の関与の疑いもあり、一部の雑誌で庁へ格下げ論を取り上げられるなどした(山田洋行事件)。 この事件や他の不祥事(防衛秘密の漏洩、報告義務違反)を踏まえ、町村信孝内閣官房長官は2007年(平成19年)11月に防衛省が抱える問題について検討を行う場として「防衛省改革会議」を開催することを決定した。会議は12月から開催され、南直哉が座長に就任した後、2008年の12月まで1年にわたって12回開催された。2008年(平成20年)7月15日に会議は「報告書 - 不祥事の分析と改革の方向性」を福田康夫内閣総理大臣に答申した。報告書の改革案には防衛大臣を中心とする政策決定機構の充実として、防衛参事官制度を廃止し、防衛大臣補佐官(現防衛大臣政策参与)を設置すること、防衛会議を法律で明確に位置づけることが盛り込まれていた。 この報告書を受けて、「防衛省設置法等の一部を改正する法律案」が策定され、2009年(平成21年)2月17日に閣議決定、同日国会に提出された。法案は従来訓令に基づく存在だった「防衛会議」を法律に規定された組織として「特別の機関」に位置づけるとともに、防衛参事官の廃止、防衛大臣補佐官3人以内の新設をするものだった。法案は同年5月27日に可決成立し、6月3日に「防衛省設置法等の一部を改正する法律」(平成21年法律第44号)として公布され、2009年(平成21年)8月1日に施行された。
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