山本和
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山本 和(やまもと かのう、1909年11月28日 - 1995年3月8日[1])は、日本基督教団牧師、神学者。日本の代表的なバルト主義者。
経歴
岡山県出身[1]。東京帝国大学経済学科卒業、日本神学校卒業[1]。関東学院大学教授を経て、玉川大学教授。日本基督教団松山教会にて牧会。『救済史の神学』で文学博士。
日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰の原案作成者である。彼はバルト神学を借用してこの使徒書簡を書いた[2]。
大のバルト好きであった。バルトの肖像を飾り、その肖像にそっくりのパイプを買ってきてふかすほどだった。
日本キリスト教協議会編纂の『キリスト教大事典』の悪魔、救済史などを執筆。「悪魔」の項目で、キリスト教の教理としての伝統的な悪魔観を否定している[3]。
著作
- 『歴史と終末』(現代教養文庫813)社会思想社
- 『弁証法神学の倫理思想』新教出版社
- 『現代とプロテスタント倫理』創文社
- 『神と悪魔』創文社
- 『宗教と実存』創文社
- 『救済史の神学』創文社
翻訳
親族
脚注
関連項目
山本和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 18:37 UTC 版)
日本基督教団の牧師で、関東学院大学及び玉川大学で教授であった山本和は、「摂理」(pro-videre;Providence;Vorsehung)の原意は神の「予め見ること」「予め配慮すること」、と説明している。 Pro-videreの語源は、創世記でアブラハムが息子イサクを神に捧げることを止められたとき、偶然発見した雄羊を代わりに捧げ、「神備え給わん」(Jahwe jireh)と言ったが、この句がラテン語の聖書では<Deus providet>と訳されたことに由来する。 すなわち、神が人間のために、その知恵と御心によって被造物の存在と持続のために必要なものを予見し、予め備え、配慮することが「摂理」であるとする。それはマタイによる福音書(6:26)でイエスが語った「空の鳥を見よ、播かず刈らず倉に収めず、されど汝らの天の父はこれを養いたまう、・・・まして汝らをや」という言葉からもうかがえる。人間は他の被造物以上に「予め配慮」されているというのである。 また、山本和は、創造に続いて起こる継続的な神の管理、歴史が「摂理」だと主張する。創造者と被造物の関係は、創造においては前者から後者への一方的な関係であるのに対し、創造後の摂理においては被造物が創造者の知と意と行為に参与する相互的な関係であるとしている。 すわなち、キリスト教においては、神の定めた絶対的な御心、創造以前からの救いに関する決定を「予定」とし、そこには人間の自由が参与し協力する余地はないとする。一方、「摂理」は人間の自由意志が介在し、人間が協力しうる領域における神の御心を指すものであるとする。
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