少尉候補者制度にいたる経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 00:11 UTC 版)
「陸軍少尉候補者」の記事における「少尉候補者制度にいたる経緯」の解説
陸軍では明治時代序盤の黎明期を除き、大正時代中盤以降まで兵科現役少尉の補充は士官候補生として陸軍士官学校を卒業した者からで一本化していた。一般兵として入営した下士官が将校となるには中学校卒業者らとともに士官候補生の召募試験を受けて合格し、以後の正規教育を修了するか、戦時の特例による進級というごくわずかな例外しかなかった。この間、日清戦争、日露戦争など下級将校の増員が必要とされる際に陸軍は一年志願兵出身などの予備役将校の投入と、士官候補生の暫時採用増および陸軍士官学校入校・卒業時期の暫時繰り上げによる現役将校速成を主として人員の確保をしのいだ。 ところが大正期になると日露戦争時に大々的に採用した士官候補生出身の現役下級将校を進級させようにも、その受け皿となる補職先が十分ではなく進級停滞や予備役編入者の増加といった人事上の弊害が発生するようになった。また下士官、准士官はいくら勤務に励んでも現役将校になる道がないと決まっていれば、士気の低下や優秀な人材の確保に支障をきたすおそれがあった。
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