小金井一家/実業家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:40 UTC 版)
日本航空退社後の1966年からは刑務所で服役する。同年、ボクシングジムを紹介するなど親交があった三島由紀夫の原作、田宮二郎主演で、日本航空時代の安部をモデルとした映画『複雑な彼』が大映で制作、封切りされている。田宮二郎が演じた主人公「宮城譲二」は、その後安部が作家デビューするにあたりペンネームにもなった。 安藤組解散後は、新宿の小金井一家にヘッドハンティングされる。同時に妻とレストラン「サウサリート」の経営、キックボクシング中継の解説者、ライブハウス経営、プロモーター、競馬予想屋などの職を転々とした。 1960年代後半から1970年代にかけて青山でジャズクラブ「ロブロイ」を経営していた時期は、本店を遠藤に任せ、赤坂と六本木と三田の支店をそれぞれ愛人に任せ、白いキャデラック・フリートウッドを乗り回し、ドーベルマンを飼い、大田区鵜の木の敷地700坪の豪邸に住むほどの勢いがあった。「ロブロイ」では菅野邦彦も弾いたが、当時高校生の矢野顕子も弾いた。後に瓔子が当時を回想して書いた「青山『ロブロイ』物語」はテレビドラマにもなった。 1974年9月から半年間、ボリビア政府軍の砲艇の航海長として革命軍の村を掃射する任務にあたったこともあるという。また、1975年には南ベトナム政府軍御用達のフランス製メタンフェタミン25キログラム缶を安価に入手すべく、陥落直前のサイゴンに潜り込んだものの、一度は1500万円で購入したメタンフェタミンを群集に争奪され、命からがら脱出したこともあるとしている。 同年に拳銃不法所持や麻薬法違反で実刑判決を受け、同年秋から府中刑務所で4年間服役した。当時、囚人の中に赤軍派(後に日本赤軍)活動家の城崎勉がおり、安部の著作によると、ダッカ日航機ハイジャック事件が起きる直前、城崎にオルグされかけたことがあったという。 1981年にヤクザから足を洗った。安部の前科は暴行傷害、賭博、麻薬、青少年保護条例違反など日本国内だけで合計14犯、また国外でも複数回の服役を経験し、国外での前科は3犯、国内と国外での刑務所生活は通算8年間に及んだ。
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