小水力発電所の建設の背景
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「ピョウタンの滝」の記事における「小水力発電所の建設の背景」の解説
北海道の電気事業は、1889年(明治22年)設立の札幌電灯舎によって始まり、同社は1891年(明治24年)に25キロワットの汽力発電(高温高圧の蒸気でタービン発電機を回す火力発電)を開始した。その後、小樽、函館、旭川など都市部で電気事業者が設立されたほか、炭鉱、製紙工場、製鉄工場などの企業が大規模な自家発電施設の建設を始めた。1935年(昭和10年)代までに北海道の電気事業者は80社を超え、道内各地に電気が通るようになった。しかし、広大な北海道では都市部から離れた農村や漁村において電力供給を受けるには多額の負担金が必要となり、依然として照明を石油ランプに頼る生活を余儀なくされていた。 北海道各地の地域限定発電事業は、太平洋戦争が勃発する1941年(昭和16年)に配電統制令によって国家管理の下におかれ、戦後は電気事業再編成令と公益事業令によって1951年(昭和26年)に発足した北海道電力に引き継がれた。日本政府は、無電灯地帯を解消するため、自家用小水力発電を積極的に援助する方針を採った。1949年(昭和24年)には北海道も「自家用小発電施設補助規則」を制定し、小水力発電施設を対象に補助金の交付を決めた。国と道の補助率はそれぞれ事業費の30分の8以内(後に3分の1以内に増額)となり、合わせると半額以上の補助が得られることとなったほか、長期融資制度も設けられた。国と道の施策により、北海道内の無電灯地帯では自家用小水力発電の機運が急速に高まっていった。補助制度を利用して建設された小水力発電所は、全道で115か所にのぼった。 このころ、中札内村は国道沿線が電化されていたものの全戸数の3分の2は依然としてランプ生活であり、1951年(昭和26年)の春、中札内村農業協同組合は、札内川上流に自家用小水力発電所を建設することを決めた。中札内村の500戸と隣接する大正村(現・帯広市)と更別村の一部を合わせて680戸に電力を供給する計画であった。国と道からの補助を受けてもなお、長期融資により各戸から年収の半分に相当する資金を調達しての事業となった。
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