小水力発電所の建設の背景とは? わかりやすく解説

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小水力発電所の建設の背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 16:31 UTC 版)

ピョウタンの滝」の記事における「小水力発電所の建設の背景」の解説

北海道電気事業は、1889年明治22年設立札幌電灯舎によって始まり同社1891年明治24年)に25キロワット汽力発電高温高圧蒸気タービン発電機を回す火力発電)を開始したその後小樽函館旭川など都市部電気事業者設立されたほか、炭鉱製紙工場製鉄工場などの企業大規模な自家発電施設の建設始めた1935年昭和10年)代までに北海道電気事業者80社を超え道内各地電気が通るようになった。しかし、広大な北海道では都市部から離れた農村漁村において電力供給を受けるには多額負担金が必要となり、依然として照明石油ランプに頼る生活を余儀なくされていた。 北海道各地地域限定発電事業は、太平洋戦争勃発する1941年昭和16年)に配電統制令によって国家管理の下におかれ、戦後電気事業再編成令公益事業令によって1951年昭和26年)に発足した北海道電力引き継がれた。日本政府は、無電地帯解消するため、自家用小水力発電積極的に援助する方針を採った。1949年昭和24年)には北海道も「自家用発電施設補助規則」を制定し小水力発電施設対象補助金交付決めた。国と道の補助率はそれぞれ事業費30分の8以内(後に3分の1以内増額)となり、合わせる半額上の補助得られることとなったほか、長期融資制度設けられた。国と道の施策により、北海道内無電地帯では自家用小水力発電機運急速に高まっていった。補助制度利用して建設され小水力発電所は、全道115か所にのぼったこのころ中札内村国道沿線電化されていたもの全戸数の3分の2依然としてランプ生活であり、1951年昭和26年)の春、中札内村農業協同組合は、札内川上流自家用小水力発電所建設することを決めた中札内村500戸と隣接する大正村(現・帯広市)と更別村一部合わせて680戸に電力供給する計画であった。国と道からの補助受けてもなお、長期融資により各戸から年収半分相当する資金調達して事業となった

※この「小水力発電所の建設の背景」の解説は、「ピョウタンの滝」の解説の一部です。
「小水力発電所の建設の背景」を含む「ピョウタンの滝」の記事については、「ピョウタンの滝」の概要を参照ください。

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