家族と親族、子孫とは? わかりやすく解説

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家族と親族、子孫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 19:17 UTC 版)

レカレド1世」の記事における「家族と親族、子孫」の解説

レカレドには4人の子があり、前述通り、妻の一人バドーとの間に生まれたリウヴァ2世583年/584年 - 603年)が王位継いだ(第19代王)が、2年後子女無く右腕切断され追放、後に殺害されバドー血筋途絶えた。リウヴァ2世異母妹名前不詳586年生誕没年不詳)はシセブト(第22代王)の妃(後妻)となり、レカレド2世生年不明 - 621年、第23代王)の母となったがレカレド2世子女無く王位継いだ年に暗殺された。ここにリウヴァ2世異母妹の母フロレシンダの系統断絶した。しかし、もう一人の妻ベドにはスウィンティラ(第24代王588年 - 633年/635年)とゲイラがおり、スウィンティラの血筋はキンダスウィント・レケスウィント父子、エルウィグ、ロデリックそれぞれ、第28代、第29代王、第31代王、第34代王)の時代除いて西ゴート王国滅亡まで王位につき続け現在のスペイン国王フェリペ6世は末裔一人である。スウィンティラは第22代王シセブトが前妻名前不詳)との間に儲けたテオドラ(レカレド2世異母姉。590年生誕)と結婚。シセナンド(605年-636年、第25代王)、キンティラ(第26代王606年-639年)、リキメル610年-631年)、名前不詳の娘、リウヴィゴート(第31代王エルウィグの妃、620年生誕)3男2女を儲けたこのうち、キンティラとリウヴィゴートの系統存続。キンティラにはトゥルガという息子がおり、跡を継いで27代王となった。トゥルガには3人の子がおり、ワムバは第30代王となり、ワムバの兄弟姉妹の子にエギカ(第32代王)がいる。エギカはリウヴィゴートとエルウィグの娘キクシロと結婚。ウィティザ (第33代王)、シセブト、オッパスを儲けた。なお、キクシロには同母兄弟姉妹(名はDodoともう一名ペドロカンタブリア公。アストゥリアス王国初代国王ペラーヨ女婿第3代国アルフォンソ1世(アストゥリアス王)の父)である)がいる。また、リウヴィゴートの夫エルウィグの父アルダバスト(611年生誕、アルタバストスとも)は東ローマ帝国からの亡命者であり、祖父母はレカレドの兄ヘルメネギルドとその妃イングンデ、父はヘルメネギルド息子アタナギルド、母は東ローマ皇帝マウリキウス姉妹ゴルディアの孫娘597年生誕、ゴルディアの娘がマミコニア王家のアルタバストスに嫁いでいた)もしくはマウリキウスの姪(弟ペトルスの娘で、母はアナスタシア・アレオビンダ。母方家系遡るコンスタンティヌス朝ウァレンティニアヌス朝テオドシウス朝辿り着く)フラウィア・ユリアナ(590年生誕)との仮説唱えられている。 レカレドとベド家系西ゴート王国滅亡まで王位居続け、現在まで存続しているとされる

※この「家族と親族、子孫」の解説は、「レカレド1世」の解説の一部です。
「家族と親族、子孫」を含む「レカレド1世」の記事については、「レカレド1世」の概要を参照ください。

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