家族と結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 15:05 UTC 版)
「ヘンリー・クリントン」の記事における「家族と結婚」の解説
クリントンが陸軍とともに従軍していた1761年に父が死んだ。クリントンは新しい家長になり、父の残したものを処理する必要が生じた。父はかなりの負債と滞納金を遺していた。父の未払い給与にかんして商務省との闘争が数年間続き、植民地の土地を売却する試みも成果を生まなかった。これらの土地はアメリカ独立戦争の間に没収され、クリントンの相続人であってもその如何なる形の補償も得ることはできなかった。クリントンの母は精神的に不安定な状態が続き、クリントンの人生にもあまり関わることが無かったが、1767年8月に死んだ。 1767年2月12日、クリントンは地主階級の娘ハリエット・カーターと結婚し、サリーに新居を構えた。この結婚は急いで行われたという証拠があり、結婚から6ヵ月後に息子のフレデリックが生まれたという記録がある。妻のハリエットは1772年に死に、その2年後の1774年には息子のフレデリックが病気で死んだ。クリントンはその結婚について記録を残していないが、幸福なものだった可能性が強い。夫妻にはフレデリック、オーガスタ(1768年)、ウィリアム・ヘンリー(1769年)、ヘンリー・ジュニア(1771年)およびハリエット(1772年)という5人の子供が生まれた。妻は娘のハリエットを産んだ8日後の1772年8月29日に死んだ。その悲しみからクリントンが快復するまでに1年間以上を要した。クリントンは義理の両親を引き取り、妻の妹がクリントンの子供達の面倒を見た。
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