家族と資料発見の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 13:42 UTC 版)
彼の結婚は遅く、1926年である。妻の名前はりゅう、1937年5月に向島に料亭福の家を開業、りゅうは女将となる。開業宣伝の絵葉書には待合とあり、妻の名前は菅野リウ子と記載している。開業披露宴に頭山満が出席した実子は生まれず、親戚の菅野裕二を養子にした。その妻の菅野かの子らが、写真などの資料を保存していた。2008年に写真家の若林純が探検旅行の資料、写真約5700枚や絵葉書、講演会の記録など総計一万点以上を発見した。若林は「菅野の足跡を知る貴重な資料。埋もれていた菅野の存在や功績に光を当て、多くの人に知ってもらいたい」と話している。
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