宵山・会所・その他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 09:30 UTC 版)
宵山期間中、占出山で大極殿本舗から神功皇后の釣り上げた鮎の吉兆に因んだ吉兆あゆが販売される。 占出山の町会所は、奥棟型町会所というとても貴重な神社形態で残っており、山鉾町でも数少ない形態で保存されている。神社形態で現存する町会所の中で最大の大きさを誇っている。元治元年、元治の大火で町会所が焼失した際、多くの公家や御所などから費用を寄進され、再建したと占出山町文書に記されていて、公家などからの信仰が厚かったことが伺うことができる。 宵山期間中、占出山の授与所では夕刻になると町内の子どもたちが 安産のお守りはこれより出ます御信心のおん方さまは受けてお帰りなされましょう 蝋燭一丁献じられましょう とわらべ歌を歌っている。 過去に大火が数多く発生したが、占出山の装飾品は一度も焼失することはなかったといわれている。占出山町は天明の大火や元治の大火を被りはしたが、他町に比べると古い町飾りを残している。当時、これらの大火を免れたのは神功皇后の神徳であると考えられていた。 山鉾町会所諸例に残る土蔵のうち、最古の遺構が占出山土蔵である。 占出山町が所有する占出山町文書は、京都市登録文化財に登録されている。 そもそも、占出山町は京都の市街地を東西に走る錦小路通を挟む両側の町であり、江戸時代は下古京八組のうち三町組に属した。町に関わる古文書を共同管理する体制がいつ敷かれたものか不明であるが、現在も占出山町の管理の元にある。占出山町文書には、町にかかわる1661年〜1687年(寛文四年〜貞享四年)の「万式目帳」、1767年(明和四年)の「家屋敷沽券写」、1810年(文化七年)「民図帳」、1817年(文化十四年)〜1872年(明治五年)の「譲証留」、また、山鉾の維持管理、縁起・由緒などを含む神事関係のものが見られる。また、町組関係では、1781年(天明元年)「所司代御迎仕法帳」、1798年(寛政十年)「寄合仕法帳」などのほか、化政期の町代改義一件に関する史料がまとまっている。これは占出山町の年寄寺本小兵衛が熱心に活動したことよる。また、化政期以降では、下古京八組の質素倹約条目、大割集会定式などの調印帳関係なども見られる。
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