守備隊の防衛戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 01:59 UTC 版)
「ミイトキーナの戦い」の記事における「守備隊の防衛戦」の解説
一方、ミートキーナの敵がわずか300名との誤報を信じた第150団団長の黄春城上校は、先着兵力だけで制圧可能と考え、17日の飛行場突入直後に独断で2個営を市街地に進ませたが、誤って市街地北部のシタプールに向かい、そこで待ち構えていた守備隊より攻撃を受けた。部隊は動揺して同士討ちに陥いり、敗退した。この時、黄上校ほか営長2名が戦死したとされる。連合軍の空輸に威圧されていた守備隊の士気は大いに上がった。 同日、飛行場の攻撃を命ぜられた第5中隊および第2機関銃中隊隷下機関砲小隊は、敵輸送機飛来の合間を利用して奇襲攻撃を敢行、重機4ほか展開中の連合軍物資に損害を与えたとされる。 20日午前7時、第150団は市街地南端を急襲し憲兵隊陣地を突破、駅に殺到した。これを知った丸山大佐は直ちに八江正義中尉率いる情報班員7人を駅に急行させた。駅周辺では、中国兵たちがたやすく制圧できたことに安心し周辺を物色していた。八江中尉らは草むらに隠れ急襲を行った。また予備隊60名も加わり、各地で神出鬼没のゲリラ戦を展開させた。この戦闘で中国軍側は大混乱に陥り、同士討ちの末撤退した。この戦闘で第150団は第3営営長・郭文軒少校、副団長・欧陽爵少校をはじめ多数の軍官を喪失する損害を被った。 21日、中国軍に代わって今度はガラハッド部隊の第3大隊が市街地北方から南下して進撃するが失敗し、24日、守備隊に陣地を奪還された。翌25日には88団、89団をもって奪還を試みるが、これもまた失敗した。この一連の失敗を受け、ミイトキーナの米・中国軍を指揮するマッカモン准将は5月25日に日本軍陣地に総攻撃を仕掛けたが失敗したため、前線に視察に来たスティルウェル中将によって罷免させられ、後任はボードナー准将になった。
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