学術研究と音楽のキャリア
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「ディカ・ニューリン」の記事における「学術研究と音楽のキャリア」の解説
博士号を取得した後、ニューリンはマクダニエル大学で、後にシラキューズ大学で教鞭をとった。1949年と1950年の夏にはシェーンベルクのもとに戻り一緒に研究をした。この時期に彼女はシェーンベルクの伝記執筆を志し、彼のウィーン時代の研究のためにフルブライト奨学金を取得した。彼女は1年ほどウィーンで過ごし、パリでも演奏し、またアメリカ音楽について講義し、ヴァイオリニストのミヒャエル・マン (トーマス・マンの息子) とレコーディングを行った。また1952年にザルツブルクでの国際現代音楽祭で、自作の『ピアノ・トリオ作品2』のピアノパートを演奏した。 アメリカに帰国した後、彼女はドルー大学に音楽学部を創設し、1965年までそこで教えた。そして北テキサス大学に移り1973年まで教えた後、モントクレア州立大学で電子音楽研究所を率いた。1976年に辞職し2年間を執筆と作曲に費やし、1978年にはバージニア・コモンウェルス大学で、音楽学の博士課程創設に携わった。 シェーンベルクの最後の弟子の一人であるニューリンは、「アメリカ合衆国におけるシェーンベルク研究のパイオニアの一人だ」と、アリゾナ州立大学音楽学部教授のザビーネ・フェイス教授は語っている。ニューリンは後にエンサイクロペディア・ブリタニカにシェーンベルクの伝記項目を執筆し、更に多くの音楽関連項目の記事と翻訳を執筆している。 ニューリンの音楽作品には、3つのオペラ、ピアノ協奏曲、室内交響曲、そして多くの室内楽、声楽、混合メディア作品がある。 彼女はまたシェーンベルクの多くの著作をドイツ語から英語に翻訳している。さらに1999年にテキサス州ラボックで行われたシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』の劇公演では、自身で英語に翻訳した歌詞を歌っている。
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