奇貨居くべしとは? わかりやすく解説

奇貨居くべし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:24 UTC 版)

荘襄王」の記事における「奇貨居くべし」の解説

昭襄王の代に、太子安国君(後の孝文王の子として生まれた安国君に20人以上の子があった上に母の夏姫安国君から気にいられなくなり異人は趙の人質として捨て駒のごとく出されみずぼらしい服装をしていた。 それを邯鄲で目にしたのが大商人であった呂不韋である。呂不韋は父に相談し「これは珍しい価値生み出す人物だ。我々が投資すべきだ(奇貨居くべし)」と言い異人接触彼に投資をして趙での名声上げた上に、安国君に気にいられていた華陽夫人呂不韋接触そのとき呂不韋投資名声聞いていた華陽夫人対しあなたに高齢安国君との間に子供がおりません。安国君が亡くなった場合あなたに子供がいない場合次の太子の有力候補庶子である公子の子傒であり、あなたの立場悪くなるでしょうそうなる前に異人のような名声のある人物養子にされて太子させれば、あなたの立場は安全でしょう」と告げた。 それを聞いた華陽夫人安国君に頼み込み華陽夫人養子として異人をもらい受け、異人安国君の跡継ぎ指名されることになったその際華陽夫人公女であったことにちなみ、子改名した

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奇貨居くべし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 18:01 UTC 版)

呂不韋」の記事における「奇貨居くべし」の解説

呂不韋出身地は二説あり、韓の陽翟(『史記呂不韋列伝)と衛の濮陽(『戦国策』)とである。商人の子として生まれ若い頃より各国渡り歩き商売で富を築いた。 趙の人質となっていて、みすぼらしい身なりをした秦の公子異人(後に子改称する。秦の荘襄王のこと)をたまたま目にして、「これ奇貨なり。居くべし (これは、思いがけない品だ。仕入れておくべきだ)」と言った陽翟帰った呂不韋は父と相談し話し合い結果将来のために異人投資することで結論まとまったという。やがて呂不韋は再び趙に赴き、公子異人初め会見した当の異人は、当時秦王であった昭襄王太子安国君(後の孝文王の子とはいえ20人以上の兄弟居ただけでなく、生母の夏氏が既に父からの寵愛失っていたため王位継げ可能性極めて低く母国にとっては死んで惜しくない人質であった。しかも趙との関係を日増しに悪化させていた秦の仕打ちによって、趙での異人監視され、その待遇悪く日々の生活費にも事欠くほどであった。だが呂不韋はこの異人秦王にし、その功績を以て権力握り巨利を得る事を狙ったのである無論呂不韋には勝算があった。

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