失敗に終わった初演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:15 UTC 版)
「交響曲第1番 (ラフマニノフ)」の記事における「失敗に終わった初演」の解説
初演は2年後の1897年3月15日にペテルブルクでアレクサンドル・グラズノフの指揮により行われたが、よく知られるようにこの初演は記録的な大失敗に終わった。演奏終了直後から会場は騒然となり、罵詈雑言が飛び交ったという。ロシア5人組の一人であったツェーザリ・キュイは、翌々日の新聞でこの曲にかんして「もし地獄に音楽学校があったなら、そこのラフマニノフ君のような才能ある学生の一人が旧約聖書の「十の災い」の物語を題材にこの交響曲を作曲するだろう。彼は華麗に任務を遂行し、地獄の住人を大いに喜ばせるだろう。私たちに、この音楽は以下のものとともに邪悪な印象を残した。それは「破綻したリズム」「不明瞭で漠然とした形式」「同じ身近な技法の無意味な繰り返し」「管弦楽の鼻にかかった音」「低音の曲解された崩壊」に「作品全てに覆う病的にひねくれたハーモニー」と「メロディックとは似て非なるアウトライン」「単純さと自然さの完全なる欠如」「テーマの完全なる欠如」」と酷評した。 この失敗の原因は、一説には初演の指揮を担当したグラズノフの無理解と放漫な演奏によるものといわれ、ラフマニノフ自身それを初演の失敗の原因の一つとしている。 この交響曲の創作に並々ならぬ情熱と労力を注いでいたラフマニノフは初演の失敗により精神的に大きな打撃を受け、楽譜は本人により出版禁止となった。その失望の深さは、1901年に2台のピアノのための組曲第2番とピアノ協奏曲第2番を書き上げるまで、ごくわずかの作品を除き作曲ができなくなるほどであった。
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