天理村軽便鉄道の開通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 17:46 UTC 版)
そんな天理村の大きな問題点が交通であった。哈爾浜市からの距離は約16kmと近距離であり、トラックによる輸送は他の開拓村に比べるとはるかに恵まれていた。 しかし哈爾浜市と連絡する国道は未舗装であったため、春季になると雪解け水により周囲の河川が氾濫、道路が水没することがしばしば発生していた。また匪賊の活動拠点であったため、その襲撃被害も少なからず発生している。 これらの問題を解決するため当初は新規道路の建設も提案されたが、最終的に軽便鉄道建設を行うことを決定、天理村村役場である「天理村事務所」が中心となり建設準備が推進された。そして1935年10月15日、満州国の私設鉄道法に依拠し、当時の村長・橋本正治を事業主とした三棵樹-天理村間の軽便鉄道「天理村軽便鉄道」敷設の特許を交通部に申請した。 建設に関しては関係資材を陸軍特務機関の協力を得て自己調達している。そのうち線路は経営難から満州国政府が補償買収し、廃止予定の斉昂軽便鉄路が使用している9kgレール・15kgレール(16kgレールとも)を満州国政府から譲渡されることとなっていた。 1936年6月26日、生琉里西門外の起工式により着工され、9月9日に交通部より特許が下りている。しかし工事を受注した業者が建設放棄を行うなどの問題も発生し、また資金難のために一時村から切り離して「哈爾浜産業鉄道股份有限公司」という会社を設立し、予定線より延長し賓県までの鉄道として再検討すべきとの異論も出され工事は難航、そのため西生琉里集落まで延伸した段階で工事を中断、1937年8月20日に三棵樹-西天理村間を先行開業させている。しかし開業に際して交通部への届出が行われず無断開業となっている。 交通部への届出を行い正式に営業認可が下りたのは同年12月14日であり、これと同時に西天理村-天理村間を開業させ、全線が開業した。
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