天津司の語義と起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/21 08:30 UTC 版)
「天津司」の語義についても、起源同様さまざまな説があり未解明な部分が多い。『甲斐名所図絵』では「テグツ」の訛語化であるとし、「手傀儡」の意味であると考えられている。一方で、「天津司」を「デクズシ」と読み、「テグ」を人形(木偶)、「ズシ」を人形を収める「厨子」の意味と解する説もある。 傀儡(くぐつ)とは傀儡子とも書かれることもある、諸国を旅しながら芸能によって生計を営む旅芸人集団であり、平安時代(9世紀)にはすでに存在していたと考えられている。傀儡子のなかでも操り人形を使って人形劇を行うものを手傀儡(てくぐつ)と呼ぶ。 傀儡は現在の中国西域を起源とし、それが木製の人形を操る芸能へ進展し、朝鮮半島を経由して日本へ入ってきたものと考えられており、天津司の舞も、これら操り人形を生業とする傀儡子集団が放浪の旅の末、甲斐国土着の人々と融合し、そこに田楽の要素が加わった芸態と考える説がある。 今日伝わる天津司舞人形の、衣装の裾から手を入れて高く差し上げて動かす形態や、人形の風貌や笠に付けた飾りなどが、朝鮮の「突っ込み人形」と呼ばれる人形劇コクトゥカクシノルムに酷似しているとの指摘もある。 一方の田楽は、平安時代中期に成立した日本の伝統芸能と考えられているが、由来については傀儡同様「渡来のものである」など諸説あり、その起源には未解明の部分が多い。本来、傀儡と田楽は別のものであるにもかかわらず、この2つが合わさったものが天津司舞であり、傀儡(人形)が田楽を舞う例は他には存在しないと言われている。 日本に現存するもので傀儡子から派生した伝統芸能は少なく、他には大分県中津市の古要神社(こようじんじゃ)に伝わる古要神社の傀儡子の舞と相撲と、福岡県築上郡吉富町の古表神社(こひょうじんじゃ)に伝わる八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲があるが、これは舞と相撲で構成される人形芝居であり田楽ではない。 鈴宮、天津司2つの神社にまたがり、かつ長期の中断が数回あった天津司舞は、古い文献史料に乏しく、さまざまな見解が存在するが、起源も語義も確定的な見解は出ていない。 なお、人形は全部で9体、祭事全般に使用される定紋は九曜星、お舞奉納で各人形が周回する回数は9周であり、随所に9という数字が関連している。
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