天文学における天の川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 15:24 UTC 版)
天の川について、古代ギリシャのデモクリトスは遠方にある星だと述べたが、アリストテレスは大気上層部の現象だと考えた。これに対しては6世紀のヨハネス・ピロポノスなどから「気象現象にしては形が一定すぎるうえに視差(場所による見える角度のずれ)もない」といった反論があったが、データに基づいた緻密な検討はなかった。10~11世紀のイスラム圏の学者イブン・ハイサムは、プトレマイオスと自らの観測データを併せて用い、天の川の視差を検討し、月よりも(おそらくは非常に)遠くにある現象だとしている。 1610年にガリレオ・ガリレイが光学望遠鏡を用いて、天の川は無数の星の集まりだと確認した。以後、天文学の進展とともに、「天の川」ないし「Milky Way」の実体は膨大な数の恒星の集団であると次第に理解されるようになった。 現在では、我々の地球を含む太陽系は、数ある銀河のひとつ(=「天の川銀河」)の中に位置しており、我々はこの銀河を内側から見ているために天の川が天球上の帯として見える、と解説される。 天の川銀河の中心はいて座の方向にある。なお、天の川のあちこちに中州のように暗い部分があるのは、星がないのではなく、暗黒星雲があって、その向こうの星を隠しているためである。この黒い中州をインカの人々はカエルやヘビなどの動物に見立てていた。
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