大足駅新設計画と知多新線初期構想とは? わかりやすく解説

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大足駅新設計画と知多新線初期構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 15:09 UTC 版)

浦島駅」の記事における「大足駅新設計画と知多新線初期構想」の解説

河和線知多半田駅以南複線化1960年より進展し1962年昭和37年)までに知多武豊駅までが複線化された。休止中浦島駅を含む知多武豊駅 - 富貴駅間の複線化1965年昭和40年)より用地買収取り掛かり地権者との買収価格交渉難航しつつも同年中に用地買収完了した地元大足地区ではこの複線化計画合わせて大足駅の新設区画整理計画した。駅予定地は浦島駅より北側大字東大高西長峰19番地を予定し、「名鉄大足誘致促進特別委員会」を組織して名鉄に駅新設強く働きかけたが、運動が実ることなく計画倒れ終わった一方名鉄では南知多内海まで延伸する知多新線計画立ち上がり1966年昭和41年9月5日には武豊信号所 - 内海間の鉄道敷設免許申請が行われた。同申請1967年昭和42年12月14日認可されるが、河和線からの分岐点である武豊信号所想定位置大足誘致計画と同じ西長峰であった。そのため駅新設を望む地元との折り合いがつかず用地買収難航し問題解決する見込みも立たなかったため、名鉄計画見直し最終的に富貴駅分岐駅とするルート変更し知多新線建設進めることになった大足新設計画区画整理予定区域休止中浦島駅1959年帰属国土交通省国土画像情報カラー空中写真)」<配布元:国土地理院地図空中写真閲覧サービス

※この「大足駅新設計画と知多新線初期構想」の解説は、「浦島駅」の解説の一部です。
「大足駅新設計画と知多新線初期構想」を含む「浦島駅」の記事については、「浦島駅」の概要を参照ください。

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