大蔵官僚や田谷個人の資質に属するもの
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「昭和三大馬鹿査定」の記事における「大蔵官僚や田谷個人の資質に属するもの」の解説
当然、このような発言をした田谷主計官の個人的な資質や大蔵官僚に対する批判も起きた。 田谷は主計官に着任する前の1983年から1985年まで、大蔵省から熊本県企画開発部長に出向していた経験があった。このときは九州新幹線の熊本 - 鹿児島間の早期着工を国に求める旗振り役であり、建設要求のための集会で、司会進行役を務めたことがあった。これを知っている促進派の関係者からは、「立場変われば人変わる、を絵に描いたようだ」とか、「節操のない変節漢」など批判した。鎌田要人鹿児島県知事は「役人ってそんなものですよ。新幹線は大問題。安全運転ばかり考え、ババを引きたがらないから決断できない」と語った。 また田谷の大蔵省時代の上司であったことがある加藤隆司はインタビューに答える形で、「(三大バカ査定とは)主計局に語り継がれてきた言葉で、三つのうち二つまでは名前を言ってもいい。戦艦大和でも戦艦武蔵でも青函トンネルでも二つまでは挙げていいが、三つ目は絶対挙げてはいけないという戒めの言葉なんだ。要するに三つ目は『お前がやったらバカ査定になるぞ』という戒めの意味が込められている。そういう職場言葉を、ましてや人前で喋るのは論外で、脇が甘すぎるとしか言いようがない」と田谷の官僚としての資質を批判した。 一方、渡部恒三は「直言する骨太の主計官。やはり大蔵省の官僚は大したものだ」と発言。また「よく言ってくれた」と書いた新聞記事もあり、「三大バカ査定」を歓迎する世論があった。このような意見に対して、促進派の小里貞利は自著で「これは整備新幹線が『地域エゴ』であり、地方への利益誘導政策と受け取る大都市生活者が少なくなかったこと、があるだろう。残念ながら私たち地方在住者の思い、地方の渇望するところが正しく理解されていなかったのだ。私たちを取り巻く環境は厳しかった」と語っている。
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