大蔵官僚から台湾総督府へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 09:18 UTC 版)
「中村是公」の記事における「大蔵官僚から台湾総督府へ」の解説
五日市小学校から、広島尋常中学(現・広島国泰寺高等学校)から第一高等中学校を経て明治26年(1893年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、大蔵省に入省。大臣官房第二課に配属。中村家に養子にいくことになったのは第一高等中学校の在学時。 秋田県収税長を経て、台湾総督府に赴任する。ここで、民政局長(のちに民政長官)として赴任してきた後藤新平との出会いが是公の一生を左右した。是公は祝辰巳、宮尾舜治とともに後藤腹心の三羽烏といわれ、台湾総督府事務官、臨時台湾土地調査局長、専売局長などを歴任し、総督府の総務局長兼財務局長に抜擢される。後藤との深い信頼関係は一生続くこととなる。
※この「大蔵官僚から台湾総督府へ」の解説は、「中村是公」の解説の一部です。
「大蔵官僚から台湾総督府へ」を含む「中村是公」の記事については、「中村是公」の概要を参照ください。
- 大蔵官僚から台湾総督府へのページへのリンク