大蔵大臣時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 16:19 UTC 版)
「オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク」の記事における「大蔵大臣時代」の解説
ベーム=バヴェルクは1895年にオーストリアの大蔵大臣に就任し、彼の肖像は100シリング紙幣に用いられた。(1983年から発行されていた100オーストリア・シリング紙幣に肖像が使用されていた。) 彼の最初の大蔵大臣としての任期は短期に終わり、再度就任したときも同様であったが、3度目は 1900年から1904年までその地位にとどまった。大蔵大臣としては、金本位制度と均衡財政の維持に努め、ほぼ2世紀間オーストリア経済の特徴となっていた砂糖補助金を1902年に廃止した。しかし1904年に軍事費の増大を求められると、財政均衡を危険にさらすとして職を辞している。その後は没年まで、ウィーン大学の教授を務めた。 経済史家のアレクサンダー・ガーシェンクロンはベーム=バヴェルクの「1銭惜しみ」、「びた1文出すよりたくさんの方針を出す」やり方を批判し、特にベーム=バヴェルクが公共事業に多額の支出をすることを嫌ったような、オーストリアの経済政策の後進性を非難した。一方、シュンペーターはベーム=バヴェルクの「国家財政の安定」への努力を賞賛している。
※この「大蔵大臣時代」の解説は、「オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク」の解説の一部です。
「大蔵大臣時代」を含む「オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク」の記事については、「オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク」の概要を参照ください。
- 大蔵大臣時代のページへのリンク