大淀川水力電気の設立
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「大淀川水力電気」の記事における「大淀川水力電気の設立」の解説
1916年(大正5年)、三井系の化学メーカー電気化学工業株式会社(現・デンカ)は福岡県大牟田市に大牟田工場を建設し、10月より順次炭化カルシウム(カーバイド)・石灰窒素・変成硫安(石灰窒素からアンモニアを取り出し硫酸に吸収させて製造する硫酸アンモニウムのこと)の製造を開始した。苫小牧工場(北海道苫小牧市)に続く同社第2の工場で、立地を大牟田市に選んだのは三井鉱山の三池炭鉱から電力や硫酸などの重要原料の供給を受けるためであった。 工場を建設したばかりの1916年11月、電気化学工業は宮崎県南部を流れる大淀川にて水利権を申請した。当初、宮崎県の意向もあったため大淀川の電力は大牟田工場で消費するのではなく、川の河口付近(南宮崎駅付近)に宮崎工場を新設して地元で消費する予定であった。県は1918年(大正7年)11月に県内消費の条件を付して水利権の許可を出した。しかし宮崎工場の建設は第一次世界大戦終結で事業環境が変化したなどの理由で中止され、1919年(大正8年)11月に会社は電力を大牟田工場で使用するという変更を逓信省へ申請した。 電気化学工業が大淀川水利権を獲得した1910年代後半、宮崎県の河川が有力な未開発水力地点として注目を集めており、五ヶ瀬川や耳川で有力電力会社や財閥による水利権獲得競争が繰り広げられていた。こうした中、県外の大牟田工場へ送電するという電気化学工業の方針変更は宮崎県議会で非難され、これを機に他の事業者を対象に含む県外送電反対運動が盛り上がっていく。さらに発電所建設に伴うダム(轟ダム)予定地が「観音瀬」という景勝地であったことでダム建設運動も発生した。こうした反対運動を前に、電気化学工業ではダム反対運動には補償金を支払い、県外送電反対運動に対しては宮崎県内で工場を設置する方針を再度決定するとともに、地元有力者を加えた発電所建設を担当する新会社を新設して地元の人々の反感を緩和しようとした。こうした経緯により、1920年(大正9年)2月19日、大淀川水力電気株式会社が設立された。 設立された大淀川水力電気の資本金は500万円。代表取締役に藤山常一(電気化学工業専務)、取締役に藤原銀次郎(同取締役)と地元宮崎の大和田市郎が就いた。また本社は東京市にあった。
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