大淀川水力電気の設立とは? わかりやすく解説

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大淀川水力電気の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:51 UTC 版)

大淀川水力電気」の記事における「大淀川水力電気の設立」の解説

1916年大正5年)、三井系の化学メーカー電気化学工業株式会社(現・デンカ)は福岡県大牟田市大牟田工場建設し10月より順次炭化カルシウムカーバイド)・石灰窒素変成硫安石灰窒素からアンモニア取り出し硫酸吸収させて製造する硫酸アンモニウムのこと)の製造開始した苫小牧工場北海道苫小牧市)に続く同社第2の工場で、立地大牟田市選んだのは三井鉱山三池炭鉱から電力硫酸などの重要原料供給を受けるためであった工場建設したばかりの1916年11月電気化学工業宮崎県南部流れ大淀川にて水利権申請した当初宮崎県意向もあったため大淀川電力大牟田工場消費するではなく、川の河口付近南宮崎駅付近)に宮崎工場新設して地元消費する予定であった。県は1918年大正7年11月県内消費条件付して水利権許可出した。しかし宮崎工場建設第一次世界大戦終結事業環境変化したなどの理由中止され1919年大正8年11月会社電力大牟田工場使用するという変更逓信省申請した電気化学工業大淀川水利権獲得した1910年代後半宮崎県河川有力な未開発水力地点として注目集めており、五ヶ瀬川耳川で有力電力会社財閥による水利権獲得競争繰り広げられていた。こうした中、県外大牟田工場送電するという電気化学工業方針変更宮崎県議会非難されこれを機に他の事業者を対象に含む県外送電反対運動盛り上がっていく。さらに発電所建設に伴うダム轟ダム予定地が「観音瀬」という景勝地であったことでダム建設運動発生したこうした反対運動前に電気化学工業ではダム反対運動には補償金支払い県外送電反対運動に対して宮崎県内で工場設置する方針再度決定するとともに地元有力者加えた発電所建設担当する新会社新設して地元人々反感緩和しようとしたこうした経緯により、1920年大正9年2月19日大淀川水力電気株式会社設立された。 設立され大淀川水力電気資本金500万円代表取締役藤山常一電気化学工業専務)、取締役藤原銀次郎(同取締役)と地元宮崎大和田市郎就いた。また本社東京市にあった

※この「大淀川水力電気の設立」の解説は、「大淀川水力電気」の解説の一部です。
「大淀川水力電気の設立」を含む「大淀川水力電気」の記事については、「大淀川水力電気」の概要を参照ください。

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