大日本帝国憲法下の権力分立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:16 UTC 版)
「権力分立」の記事における「大日本帝国憲法下の権力分立」の解説
1890年(明治23年)、大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の成立と裁判所構成法の制定により、日本に権力分立の体制が整う。すべての権力(統治権)は天皇が総攬し(大日本帝国憲法第4条)、立法権は帝国議会の協賛をもって天皇が行使し(大日本帝国憲法第37条)、司法権は天皇の名において裁判所が行使し(大日本帝国憲法第57条)、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が行使する(大日本帝国憲法第55条)、という権力分立制だった[要出典]。 立法権は、帝国議会の協賛を経ずとも、緊急命令(大日本帝国憲法第8条)と独立命令(大日本帝国憲法第9条)によっても行使された。後年には軍部が統帥権と軍部大臣現役武官制を梃子に、ほかの三権から遊離して増長し、暴走する事態ともなった。 大日本帝国憲法下の司法権の独立については、制度上も実際上も比較的実現されていた。 なお、大日本帝国憲法においては、行政庁の処分の違法性を争う裁判(行政裁判)の管轄は司法裁判所にはなく、行政庁の系列にある行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、「行政権もまた司法権からの独立を要する」ことに基づくとされている。これに対して、江藤新平は明治初頭に「司法権もまた行政権からの独立を要する」もので、行政裁判といえども行政が裁判に関わるのは司法権の独立に対する侵害であるという論理を主張している。
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