大戦中の創作活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:48 UTC 版)
1936年(昭和11年)には絵画専門学校の教授を退官、その翌年には帝国芸術院の会員となったが、この前後の時期から当時の日本を巡る情勢を反映してか、倶利伽羅峠の戦いに取材した1935年(昭和10年)の『松明牛』、戦場での武士同士の交流を描いた、1938年(昭和13年)の『交歓』などといった、戦(いくさ)を題材とした作品が目立つようになる。特に1941年(昭和16年)の日米開戦以降は、日本画家報国会による軍用機献納展や、帝国芸術院会員による戦艦献納展などといった展覧会に作品を出品し、地位と名声のある画家として、戦時下における銃後の志気高揚に協力した。1943年(昭和18年)の『小楠公弟兄』(しょうなんこう おととえ)も、皇室に対する忠誠心と、敵と果敢に戦う強い意志をあらわす偶像といわれていた武将・楠木正成の二人の息子の姿を描いている。
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