大戦への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:29 UTC 版)
1938年4月に成立したダラディエ第3次内閣は、ドイツのズデーテン地方割譲問題に対してチェコスロバキアに軍事援助を行った。一方でイギリス首相ネヴィル・チェンバレンはチェコスロバキアに譲歩させて戦争を回避する腹を固め、9月18日にフランス首相ダラディエと外相ジョルジュ・ボネ(フランス語版)をロンドンに招いて協議し、ダラディエもチェンバレンの意見に同意、9月のミュンヘン会談でイギリスの宥和政策に同調してヒトラーのズデーテン地方併合を容認した。その後のナチスのチェコ進駐に至り、英仏とも宥和政策の限界を感じポーランド・ギリシャと安全保障を結んだ。さらにソ連との交渉を行おうとしたが、対ソ連の歩調が揃うのに時間が掛かった。加えてミュンヘン会談をソ連抜きで勧めたことや1939年1月にスペインのフランコ政権を容認したことはスターリンの仏英不信を強めさせ、8月23日の独ソ不可侵条約を招くことになった。8月22日のブレッド合議(英語版)で小協商は解体され、フランスの対独包囲網は無力化されていた。
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