大和金房正真
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金房(かなぼう)派というのは、奈良の金房辻、特に子守(現在の奈良市本子守町)にいた刀工集団で、銘が残るものでは永正14年(1517年)の正重が最も古く、天文(1532-1555)年間が質の最盛期で、慶長(1596)以降は京の刀工との競争に負けて「奈良物」という数打ち物に転落した。金房派は宝蔵院を含む興福寺僧兵から後援を受けていて受注が多かったらしく、特にその槍は至極とされ、宝蔵院流槍術流祖胤栄は金房政次に十文字槍を三本作らせている。また、彫物も得意としていたので、高位の武士から人気があった。 正真の銘は「南都住金房隼人丞正真作」、「南都住藤原正真」など。刀だけではなく槍の優品も多い。『古今鍛冶備考』によれば天文(1532-1555)ごろの人。さらに同書は金房正実と同一人物としているが、福永酔剣は銘振りから見て正実とは別人だろうとする。「鹿嶋大神宮大祢宜散位中臣朝臣氏親」という所持銘の槍があり、所持者の没年(天正4年(1576年))からして、天文ごろというのは正しいと考えられる。 『懐宝剣尺』では良業物に分類されている、などとする書籍もあるが、『懐宝剣尺』の増補である『古今鍛冶備考』の原文には良業物の記載は特になく不明。また、藤代義雄の評価では末古刀中作。 天下三名槍の一つ蜻蛉切の作者の藤原正真、大和金房正真、三河文殊正真、この三人は全て同一人物とする説がある。なお、もう一つの天下三名槍日本号も金房派の誰かの作ではないかと言われている。
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