大きさと樹齢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 17:47 UTC 版)
2005年での幹周は36.2m、加えて平均直径は11.62mにもなり 、1982年の計測の11.42mからわずかに成長している。しかしながら、この幹周は巨大な板根があるための数値であり、実際の断面の内部直径よりかなり高くなるもので、それを考慮すると、板根を取り除いた直径は9.38mになる。これはトゥーレの木に次いで太い木と知られている、ジャイアントセコイアの直径8.98mよりまだわずかに大きい。なお、日本から来た愛好家で、巨樹の著書もある蟹江節子らが市長に許可を取り、日本の環境省が国内の巨樹の調査時に定めている地上1.3mの位置で幹周を計測したところ、45mを記録した。日本の巨樹として広く知られる縄文杉の幹周が16m程度であることからも、その大きさを察することができる。 樹高は、その大きな樹冠のために計測が困難であるが、2005年のレーザーを使った計測では35.4mを記録し、以前の計測値である41–43mを下回った。解説版(下記写真)によれば、体積816.829m3、重量636.107tとされる。しかし、これらの数値は実証されておらず、個々を検証していない数値であり、先述した幹周も胴周り58mと記載されていることからも、疑念を持って扱わなければならない。 このようにこの木は極めて太いため、当初は合体木と考えられてきたが、DNAの調査により一本の木であることが証明された。しかしこれは、一本の木から複数の芽が育つ株立ちの仮説を排除するものではない。 樹齢は不明だが、1,200 - 3,000年の間と見積もられており、6,000年との指摘もあるが、幹の成長率に基づいた最適な科学的な推測では1,433 - 1,600年とされている。 様々な科学的な推測によっても裏付けられた、 地元のサポテカ文明の言い伝えによれば、 アステカの風の神であるen:エエカトルに使えた聖職者のPechochaにより、それは1,400年ほど前に植樹された。また、植樹された地域が聖地(後にローマカトリック教会に乗っ取られたが)となっていることもこれを裏付ける。
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