増産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 06:36 UTC 版)
先の成功例が伝えられると、幕府も反応を示した。嘉永6年(1853年)黒船来航後の8月(同9月頃)、幕府は佐賀藩に、品川台場向けの鉄製大砲50門の製造を依頼した。これを受けた藩は、銃砲製造関係の既存施設があった多布施に新たな反射炉の増設を決定する。多布施反射炉は安政元年3月27日(1854年4月24日)に操業を開始した。 多布施反射炉は、安政6年11月(1859年12月頃)まで操業したことが分かっている。また、築地反射炉は遅くとも、安政4年7月(1857年8月頃)には操業を停止していたことが分かっている。操業を終えるまでの約9年間、鋳造が完了しなかったものや鋳造後破裂してしまったものを含めて、計138門の鉄製大砲を鋳造した。また、特に長崎の砲台に早期に必要な分などは鉄製大砲では間に合わないため青銅砲で補っており、両反射炉では青銅砲も鋳造した。鉄の大砲と青銅砲を合わせると、300門近くを鋳造したとされている。 佐賀藩の反射炉(築地反射炉・多布施反射炉)で鋳造された鉄製大砲の規格別一覧規格鋳造時期納入先門8ポンド砲 1851-1852 佐賀藩 10 24ポンド砲 1853-1858 幕府 45 1856 佐賀藩 3 30ポンド砲 1857-1859 佐賀藩 30 36ポンド砲 1852-1854 佐賀藩 9 1854-1858 幕府 34 80ポンド砲 1854-1856 佐賀藩 4 150ポンド砲 1859 幕府 3 なお、1858年にはオランダから圧延機を輸入して使用した記録がある(日本最初の圧延機)。この圧延機をはじめとした設備類は、後に一度幕府に献納され、明治政府に移管、明治4年(1871年)に久留米に開設された赤羽製鉄寮(のちの赤羽工作分局)に引き継がれた。
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増産
「増産」の例文・使い方・用例・文例
- 増産により需要に供給を合わせる
- 増産に対応するため、期間従業員の募集広告を印刷します。
- 当初の納期内で増産に対応することは困難でございます。
- 現在、増産体制に向けて準備しています。
- 大口の注文が入ったため、直近1ヶ月は増産が困難な見込みです。
- 大幅増産につき臨時スタッフを20名募集しております。
- 自動車を増産する.
- 増産を図らなければならない.
- 天候不良のため米の増産は見込めない.
- 特に穀物の増産のための、植物の栄養摂取や成長についての研究
- 英国の経済学者で、人口増加は食糧増産を追い越すと論じた(1766年−1834年)
- 1995年に阪(はん)神(しん)・淡(あわ)路(じ)大震災が起こった際にはカンパンを増産しました。
- エコキーパーはとても人気があり,朝日電器はこの機器の増産を考えている。
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