堺市方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 01:19 UTC 版)
「Osaka Metro四つ橋線」の記事における「堺市方面」の解説
南側に延伸する計画もあった。この計画は、現在の住之江公園駅から堺市大浜を経て浜寺公園付近まで延伸するというもの。堺市大浜までの軌道特許を取得したのは1959年と古い(大阪市交通局がほぼ並行して大阪市電阪堺線(三宝線)を走らせていたこととも関係すると思われる)。そして1972年に住之江公園駅まで開通したが、その後の堺市へ入る区間は未着工のままで実質凍結状態となっていた。1989年5月31日の運輸政策審議会第10号答申でも除外され、2004年3月31日に工事施行認可申請期限を迎えた際、大阪市が申請期限の延長を申請しなかったため、同年4月1日付けでこの区間の軌道特許が失効しており、計画は事実上頓挫している。 なお、もともと四つ橋線は玉出駅からさらに南へ伸び住之江区北島を経て堺市海山町に至る予定(ほぼ国道26号線の真下)であったが、南海電鉄南海本線との距離が近過ぎるために南海電鉄から猛抗議を受けたことや、今後臨海地域の発展が予想されること、および用地買収のコスト削減(大阪市が旧市電三宝線の地主でもある関係上、直進して堺市に入るよりもそちらの方に入る方が安上がりなため)などの理由から、進路を西へ移動し旧市電三宝線が通っていた大阪府道29号大阪臨海線ルートで堺市へ入ることとした。そして現在経路の北加賀屋、住之江公園に至っている。玉出駅南側(粉浜西1丁目付近)で路線が大きく南から逸れて西へ向かっているのは、このような背景があったからである。 2009年10月、堺市長に就任した竹山修身は、中止すると表明した堺東駅 - 堺駅間のLRT計画「東西鉄軌道」の代わりに、四つ橋線を堺市方面へ延伸する計画を改めて打ち出した。大阪府咲洲庁舎(2009年当時は大阪ワールドトレードセンタービルディング)への府庁移転を後押しするため設置された「夢洲・咲洲地区まちづくり推進協議会」が出した中間とりまとめ案に四つ橋線の堺市への延伸が盛り込まれ、竹山はこれに歓迎の意向を示していた。しかし、延伸の実現を見ることも何の議論も進展しないまま、竹山は辞職している。
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