地域のあゆみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:50 UTC 版)
もとは旧豊浦郡に属する村(勝山村)であったが、1939年(昭和14年)に下関市へ編入した。新下関駅はかつて「長門一の宮駅」と称し、長門一ノ宮とも称された住吉神社の近くにあったものが、「長門一ノ宮駅」に改称ののち1928年(昭和3年)に山陽本線の経路変更に伴って現在地に移転したものであり、戦後しばらくは広大な田園のなかに集落が散在している状態であった。しかし、1973年(昭和48年)の関門橋と下関ICの開通、1975年(昭和50年)の山陽新幹線開業とそれにともなう長門一ノ宮駅の新下関駅への改称を機に、新下関駅を中心に区画整理がなされ、地区全体にわたって開発計画が進められることとなった。また、1974年(昭和49年)には、東亜大学が長門一ノ宮駅(当時)の南側に開学している。 域内中央を南北に走る幹線道路・県道下関長門線(建設当時は山口県道37号下関豊田油谷線)が整備され、その道に沿うように秋根から一の宮にかけて新下関地区の中心市街地が形成されていった。 1976年(昭和51年)には下関市地方卸売市場の青果部門が山の谷交差点北側に移転して下関市中央卸売市場に改称する(2008年(平成20年)に地方卸売市場に再転換)など、下関における物流の拠点ともなっている。この他、幹線道路である県道下関長門線・国道2号は山の谷交差点に起因する渋滞が深刻であることから、国土交通省(中国地方整備局山口国道事務所)が交差点の改良(立体交差化)と前後区間の拡幅工事を実施中である。
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