在位中の事績など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 00:59 UTC 版)
※ 史料は、特記のない限り『日本書紀』に拠る。 舒明天皇元年(629年)1月4日 - 即位。 舒明天皇2年(630年)1月12日 - 宝女王を皇后に立てる。 3月1日 - 高句麗(大使宴子抜・小使若徳)・百済(大使恩率素子・小使徳率武徳)が各々使者を遣わして朝貢する。 8月5日 - 遣唐使(大使犬上御田鍬・薬師恵日ら)を派遣。 10月12日 - 飛鳥岡本宮(明日香村)に遷る。 舒明天皇3年(631年)3月1日 - 百済の義慈王が王子の豊章を質として送る。 9月 - 有間温泉に行幸。12月に帰る。 舒明天皇4年(632年)8月 - 唐が高表仁を派遣し、犬上御田鍬らを送る。 10月4日 - 唐の高表仁が難波津に到着。 舒明天皇5年(633年)1月26日 - 高表仁が唐へ戻る(「與王子爭禮 不宣朝命而還」『旧唐書』)。 この年 - 物部兄麻呂を武蔵国造に任じたという(『聖徳太子伝暦』)。 舒明天皇6年(634年)1月15日 - 豊浦寺(明日香村)塔の心柱を建てる(『聖徳太子伝暦』)。 舒明天皇8年(636年)6月 - 岡本宮が火災に遭う。田中宮(橿原市田中町)に遷る。 この年 - 旱魃・飢饉が起こる。 舒明天皇9年(637年)この年 - 蝦夷が反乱したため、上毛野形名を将軍として討たせる。 舒明天皇10年(638年)この年 - 福亮僧正が法起寺金堂(斑鳩町)を建立するという(『法起寺塔露盤銘』)。 舒明天皇11年(639年)7月 - 詔して、百済川の辺に大宮と大寺(桜井市吉備?)を造らせる。 12月 - 伊予温泉に行幸。また、百済大寺の九重塔が建つ。 舒明天皇12年(640年)4月 - 伊予から帰り、厩坂宮(うまやさかのみや。橿原市大軽町付近)に滞在する。 10月 - 百済宮に遷る。 舒明天皇13年(641年)10月9日 - 百済宮で崩御。 10月18日 - 宮の北に殯をした。 ウィキクォートに舒明天皇に関する引用句集があります。 『万葉集』に御製歌あり。
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