国際テロ対策条約
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その間、国際連合においても国際テロ事件を対象とした2件の条約が採択されている。 まず「国際的に保護される者(外交官を含む。)に対する犯罪の防止及び処罰に関する条約」(国家代表等犯罪防止処罰条約)が1973年に採択され1977年に発効した。この条約は、国家元首や外交官といった「国際的 に保護される者」の誘拐や殺害事件が増加したことを受けて、それらの行為を犯罪と定め、犯人の処罰や引き渡し等について規定している。 続いて「人質をとる行為に関する国際条約」(人質行為防止条約)が1979年に採択され1983年に発効した。1970年代にミュンヘンオリンピック事件や大使館占拠事件、OPEC本部襲撃事件(英語版)といった人質行為を伴うテロ事件が増加したことを受け、これらの人質をとる行為を防止するための条約である。国際的なテロリズムとして行われる人質を取る行為を犯罪と定め、その犯人の処罰や引渡し等が規定している。 1980年代に空港におけるテロ事件が増加したことを受けて、モントリオール条約を補足する議定書として「千九百七十一年九月二十三日にモントリオールで作成された民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約を補足する国際民間航空に使用される空港における不法な暴力行為の防止に関する議定書」(空港不法暴力行為防止議定書)が作成され。この議定書は国際空港の安全を損なう一定の暴力行為を犯罪と定め、犯人の処罰のための措置が規定したもので、1988年に採択され翌年発効した。 この頃、プラスチック爆弾を用いた航空機爆破事件が相次いだ。1987年には、大韓航空機爆破事件が発生し、ボーイング707が爆破され搭乗者全員の115人が死亡した。1988年には、パンアメリカン航空103便爆破事件が発生し、パンアメリカン航空のボーイング747が爆破され、搭乗者259人全員と地上で巻き込まれた11人が死亡した。1989年にはUTA航空772便爆破事件が発生し、フランスのUTAのマクドネル・ダグラスDC-10が爆破され、搭乗者全員の170人が死亡した。これらの事件、特にパンアメリカン航空103便爆破事件を直接的な契機として、ICAOにより「可塑性爆薬の探知のための識別措置に関する条約」(可塑性爆薬探知条約)が作成された。この条約では、可塑性爆薬への探知剤の添加等の措置を締約国に義務づけている。
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