国内外普及と明卵漬の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:28 UTC 版)
「辛子明太子」の記事における「国内外普及と明卵漬の衰退」の解説
ふくやの後を追って、1960年代には多くの同業者が設立された。1975年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多間全通後に設立された福さ屋が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、全国的に知れ渡るようになった。近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいる。 博多名産・辛子明太子のほうが全国へ波及したために下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり、現在でも量販向けで広く流通している。まぶし製法も少数ながら生産されており市場向けの高級品として流通し、棲み分けがなされている。 1980年代には土産物の販売ルート以外にも、百貨店・量販店で広く販売されるようになり、全国でおにぎり・パスタの具として広く利用・販売されている。2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転した。 2018年11月辛子明太子(めんたいこ)製造販売「蔵出しめんたい本舗」が、ニシンの卵数の子を辛い調味液に漬け込んだ「数太子(すうたいこ)」を開発。数の子ならではの食感、うまみ、辛さが特長で、おせち料理や歳暮向け高級食品として販売。ふくや創業者の孫である川原俊夫社長も2018年時点でパクリの由来となった明卵漬が明太子に韓国国内でさえも流通量・知名度で飲み込まれてしまったため、明卵漬を明太子が韓国内流通量上回った以降に育った若い韓国人を中心に明太子そのものが韓国のモノと勘違いされていることを指摘している。
※この「国内外普及と明卵漬の衰退」の解説は、「辛子明太子」の解説の一部です。
「国内外普及と明卵漬の衰退」を含む「辛子明太子」の記事については、「辛子明太子」の概要を参照ください。
- 国内外普及と明卵漬の衰退のページへのリンク