国内大学での活動
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まもなく天津反日会は中国国民党の取締で解散させられ、蔣廷黻は東北三省に赴いて対日外交問題の実地調査に赴いた。同年秋、カールトン・ヘイズ(英語版)の著書The Historical Evolution of Modern Nationalism(中国語題名「族國主義論叢」)を学生と協力して翻訳した。蔣は「族国主義」(ナショナリズム)を主張して、社会主義・共産主義・平和主義への反対姿勢を示している。またその一方で、東北三省での実地調査を基に、国民政府に向けてソビエト連邦への対応準備を進言した。 1929年(民国18年)5月、蔣廷黻は清華大学に招聘され、歴史系主任に就任する。この頃、蔣廷黻は清末の政治・外交関連史料の整理・収集に取り組み、北京大学でも講座を持っている。清華大学に在る間に、胡適との親交を深め、1932年(民国21年)春に胡適が北平で雑誌『独立評論』を創刊すると、蔣廷黻も編輯としてこれに参加した。その論調は、蔣介石の「攘外安内」政策を擁護するものであり、翌1933年(民国22年)夏には蔣介石と対面し、中国共産党(紅軍)討伐を優先すべきと進言している。またこの時期に、『近代中国外交史史料輯要』、『中国近代史』などの著書も刊行した。
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