回天菊水隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 16:30 UTC 版)
1944年(昭和19年)11月8日朝、揚田司令の率いる「伊36」、「伊37」、「伊47」は回天4隻ずつを搭載して大津島を出撃した。「伊36」に乗組んだ回天搭乗員は吉本健太郎中尉、豊住和寿少尉、今西太一少尉、工藤義彦少尉の4名、攻撃予定日は20日、攻撃目標はウルシー環礁在泊の米機動部隊である。「伊36」は19日にはウルシーに到着して偵察を行い、米艦隊を確認。日没後に浮上したが、航空機の接近によって潜航を繰り返し、充電、整備とも十分には行えなかった。しかし、ウルシー襲撃は「伊47」との共同作戦であることを踏まえ攻撃に向かった。20日零時ごろに浮上して今西、工藤両少尉を回天に搭乗させ潜航。吉本中尉、豊住少尉は交通筒から搭乗した。回天の発進は4時ごろであったが、4隻中2隻は架台から離脱することができず、また1隻は浸水によって出撃不能となり、出撃したのは今西艇のみであった。搭乗員収容のため再浮上し潜航して戦果を待つ中、1時間を経過した午前5時45分に大爆発音を、さらに誘爆音を聞いている。この日「伊36」は制圧攻撃が続く中限界まで潜航し、最後は「運を天に任せ」浮上。離脱に成功した。帰還後の研究会で行われた寺本と折田善次(「伊47」潜水艦長)の報告は会場を粛然とさせるものであった。揚田司令は昭和天皇に拝謁し、作戦経過を報告している。なお「伊37」は回天発進前に駆逐艦によって撃沈され、「伊36」の他の3名の回天搭乗員はその後の回天作戦で戦死している。
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