四十代とは? わかりやすく解説

四十代(1980年代後期 - 1990年代初め)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 14:18 UTC 版)

遠藤賢司」の記事における「四十代(1980年代後期 - 1990年代初め)」の解説

地道なライブ活動続ける中、1987年にはマーシャルアンプを背に、ひとりでエレキ轟音ライブ始め活動新展開迎える。演奏時間極端に長い長編作品数多く生み出されたのもこのころである。そして、1988年には遠藤賢司バンド(エンケンバンド)としての活動開始バンド結成にあたり彼の念頭にあったのはMC5やブルー・チアーであった当初メンバーは、遠藤賢司G. Vo)、ハロルド吉見吉見孝司(B.)、ジキル浜田浜田康史(Drums)であったが、1989年にはベース元・子供ばんど(KODOMO BAND)の湯川トーベンドラム嶋田吉隆加入し、さらに1991年にはドラム頭脳警察石塚俊明加入メンバーは、遠藤賢司G. Vo)、湯川トーベン(B.)、石塚俊明(Drums)となる。代々木チョコレートシティなどのライブハウス中心に活動を展開。 1989年ソノシート壱円玉よ永遠なれ!」を自主制作同年ポリドールからシングルCDエンケンミッチー音頭」を発表遠藤賢司バンド湯川嶋田はじめとしてコーラスなどに多数ゲスト参加1983年の『オムライス以来久々作品リリースとなる本作は、青山ミチの「ミッチー音頭」のカバーであった。そしてこの曲は、当時ニッポン放送放送されていたラジオ番組三宅裕司のヤングパラダイス」のテーマ曲になる。冒頭歌詞を「ヤンパラ聞いてりゃ素敵な眼〜」、サビ部分を「唄って踊ってヤンパラ聞いて」に変更した別バージョンオンエアされていた。 1990年遠藤賢司バンドライブビデオ純音楽』を発表同年4月20日渋谷クラブクアトロ行われたライブ収録春日博文ゲスト参加している。「輪島の瞳」などを収録1991年インディーズレーベルソリッドから遠藤賢司バンド名義二枚ライヴアルバム不滅の男 遠藤賢司バンド実況録音盤』を発表1989年から1990年にかけてのライブ音源収録当時メンバー湯川嶋田であったが、正式メンバー加入する前の石塚ゲスト参加している。本作収録の「輪島の瞳」は、当時プロレス転向して世間嘲笑的注目浴びていた元横綱輪島大士捧げたものであり、演奏時間25以上にもおよぶ。また同年には、インディーズレーベルナツメグから、遠藤賢司バンド名義マキシシングル史上最長寿のロックンローラー」も発表。60cm四方の超特大ジャケットで、ジャケット裏の特製双六根本敬よる。収録されている楽曲25分を超えるものであったアナログ盤製作され米国発売された。 また、ヤマアラシその他の変種』(1990年)、『A TRIBUTE TO GODZILLA』(1991年)、『G.S. I LOVE YOU』(1992年)といったオムニバス盤レコーディングにも参加している。

※この「四十代(1980年代後期 - 1990年代初め)」の解説は、「遠藤賢司」の解説の一部です。
「四十代(1980年代後期 - 1990年代初め)」を含む「遠藤賢司」の記事については、「遠藤賢司」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「四十代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から四十代を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から四十代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から四十代 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「四十代」の関連用語

四十代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



四十代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの遠藤賢司 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS