四十九所神社とは? わかりやすく解説

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四十九所神社

読み方:シジュウクショジンジャ(shijuukushojinja)

教団 神社本庁

所在 鹿児島県肝属郡高山町

祭神宇気毘売大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

四十九所神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 09:03 UTC 版)

四十九所神社
所在地 鹿児島県肝属郡肝付町新富5580番地
位置 北緯31度20分35.9秒 東経130度56分48.4秒 / 北緯31.343306度 東経130.946778度 / 31.343306; 130.946778 (四十九所神社)座標: 北緯31度20分35.9秒 東経130度56分48.4秒 / 北緯31.343306度 東経130.946778度 / 31.343306; 130.946778 (四十九所神社)
主祭神 天照皇大神
豊宇気毘売大神
社格 旧県社
創建 永観2年(984年)
本殿の様式 流造
例祭 10月19日
主な神事 流鏑馬奉納祭(10月第3日曜日)
地図
四十九所神社
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四十九所神社(しじゅうくしょじんじゃ)は、鹿児島県肝属郡肝付町新富(にいとみ)にある神社

祭神

天照皇大神豊宇気毘売大神、他4柱を祀る。

沿革

三国名勝図会(1843年)に描かれた四十九所神社

永観2年(984年)7月16日、肝付氏の祖である伴兼行(大伴大監兼行)が薩摩国惣追捕使に任命されて下向する際、伊勢神宮内宮外宮から勧請。後にここを鎮座地として創建される。以後肝付氏の守護神として郷土の産土神として、また大隅一円の宗社として崇敬されている。

四十九の謂れは、祭神の総数[注釈 1]に因む。

正面の鳥居をくぐり、階段を上がると正面に社殿、右手に手水舎、左手に社務所が見える。他に絵馬掛け、祠、御神木がある。普段宮司等は常駐していない。

令和3年(2021年)5月、拝殿が再建された。

昭和の頃までは、この地で一反木綿を目撃したという証言者もいた[1][2][注釈 2]

高山流鏑馬

やぶさめ
参道

高山流鏑馬(こうやまやぶさめ)は、鹿児島県内においてはこの神社の名前を出すよりも、「流鏑馬[注釈 3]祭が催される神社」と説明する方が通りが早い。なお、流鏑馬そのものの歴史は全国的に見ても旧く、肝付氏(伴氏)がこの地に定住を始めた後100年後から始まったとされ、900年近くの歴史になる。流鏑馬が催される参道(宮之馬場)は、この神事のため神社に向かって道路の右半分が舗装されないままになっている。

射手について、昔は麓集落の二才衆とよばれる二十歳前後の青年集団、中でも15歳から16歳の中から選ばれていたが[3]、後に 長稚児 おせちごと呼ばれる14歳くらいの男子の中から選出されるようになった[4]。8月中に地元の中学2年になる男子生徒の中から射手が選定され、9月より旧国鉄大隅線跡地を使っての練習をし、神社前宮之馬場を使っての練習を行い本番に臨む。流鏑馬奉納祭2日前には 柏原 かしわばる海岸において馬、射手共に「汐がけ」と呼ばれる禊ぎを行い、当日まで宮篭り[注釈 4]をする。この「汐がけ」の際、射手の父親は柏原海岸の清められた砂[注釈 5]を採り、当日流鏑馬の際に宮之馬場鳥居前広場にて子の安全を祈りつつ撒く。

奉納祭では初めに330mほどの宮之馬場を歩いて往復する。次にただ弓だけ持ち、馬場を駆け抜ける「空走り」を行う。次にいよいよ弓に矢をつがえ、駆けながら沿道に掲げられた3枚の的を射抜く。これを3回繰り返す。前年に射手を務めた後射手は馬には乗らず疾走する馬を追走、射手に事故があった場合の予備の射手として不測の事態に備える。

多くの的に命中すると良いとされるが、9枚全てに命中させることはしない。来年度はさらに上をめざすという想いが込められている。射抜かれた的は魔除けとして縁起物とされ、また真中に命中した矢は篭り矢と呼ばれ神前に供えられる。真中に命中したかどうか、篭り矢の判断は的を中心で支える竹に当たったかどうかで判断される。

1981年昭和56年)3月27日に県の無形民俗文化財に指定される[5]

平成18年(2006年)からは地元のコミュニティFM局FMきもつきがやぶさめ祭りの生中継を実施しており、おおすみFMネットワークを通してFMかのやFM志布志と3局ネットで放送されている{{Efn|2009年(平成21年)から2015年(平成27年)はFMたるみずも含めた4局ネット)。また、南日本放送(MBCテレビ)制作のドキュメンタリー番組が例年放送されるほか[注釈 6]、無観客開催となった2020年(令和2年)から2022年(令和4年)にかけては同局によるインターネット生配信が実施された[7][8][9]

主な年中行事

  • 各月19日 - 月次祭
  • 2月19日 - 新年祭
  • 10月18日 - 内祭
  • 10月19日 - 例大祭
  • 10月第3日曜日[注釈 7] - 流鏑馬奉納祭[注釈 8]

※以上の行事は、一般的に使われている新暦による日程。

脚注

注釈

  1. ^ 天神七代地神五代、五部之神と他三十二柱併せて四十九柱。
  2. ^ 神社には大きな幟旗紙垂があり、かつては周辺地域で土葬の際に白い旗を立てる習慣もあった。
  3. ^ 中学生が馬に乗って駆け、弓矢で的を射る。
  4. ^ 2025年(令和7年)時点では、注連縄が張られたコミュニティセンターの一室で寝泊り。
  5. ^ 真砂。
  6. ^ 2021年(令和3年)はダイドーグループ 日本の祭りとしても制作・放送[3][6]
  7. ^ 2020年(令和2年)は例祭日の10月19日月曜日、2023年(令和5年)は第4日曜日の10月22日に開催。2023年(令和5年)の第3日曜日・10月15日は肝付町がコースに含まれる燃ゆる感動かごしま国体自転車競技(ロードレース)の実施日である。
  8. ^ かつては10月19日の例大祭にあわせて行われていた。

出典

  1. ^ 毎日新聞』 2007年8月7日付朝刊。
  2. ^ 【きもつき情報局】いったんもめん(一反木綿)はどこにいた?”. 肝付町観光案内所 (2017年8月1日). 2025年7月21日閲覧。
  3. ^ a b ダイドーグループ 日本の祭り一心一矢 ~高山流鏑馬~ / Koyama Yabusameダイドーグループホールディングス、2022年6月24日。YouTubeより2025年7月21日閲覧。
  4. ^ 四十九所神社の流鏑馬鹿児島県、2021年3月2日。
  5. ^ 鹿児島県教育委員会 (2024年9月27日). “民俗文化財”. 鹿児島県. 2024年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月9日閲覧。
  6. ^ 11/23(火)午後3時55分~ダイドーグループ日本の祭り「一心一矢 高山流鏑馬」”. MBC南日本放送 (2021年11月17日). 2021年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月28日閲覧。
  7. ^ 10/19(月)11:15~「高山流鏑馬(こうやまやぶさめ)」ライブ配信!”. MBC南日本放送 (2020年10月19日). 2021年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月5日閲覧。
  8. ^ 10/17(日)13:30~「高山流鏑馬(こうやまやぶさめ)」ライブ配信!”. MBC南日本放送 (2021年10月1日). 2022年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月2日閲覧。
  9. ^ 10/16(日)13:30~「高山流鏑馬(こうやまやぶさめ)」ライブ配信!”. MBC南日本放送 (2022年10月7日). 2022年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月16日閲覧。

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