商品の誕生まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/18 01:29 UTC 版)
鎌倉出身の料理研究家矢野ふき子が2011年4月放映のテレビ朝日の食育をテーマとした「学びEye」の取材の裏方として同席した時に考え出したもの。当時のプロデューサーに「生しらすは漁獲した当日しか日持ちのしない地元民だけの食べ物なので、生しらすを朝ごはんのシーンにしてほしい」と依頼を受けた矢野は、生しらすを日持ちさせ、全国に広めたいと考えた。本人は「神奈川なでしこブランド」の認定式で神奈川県の黒岩祐治知事とのトークショーの際、「中学生の時、当時日経流通新聞の編集長だった父が富山県から持ち帰ったホタルイカの沖漬けをヒントに、しらすの沖漬けを思いついた」と語っている。[要出典] このしらすの沖漬けは、鎌倉のしらす漁師、もんざ丸の前田惠三の協力で生まれた。 生しらすは漁獲された直後に氷で〆られる。開発段階では、陸に持ち帰った生しらすをタレに漬けていたため、なかなか思うような味や日持ちが得られず苦労した。しかし、矢野が前田にタレを託し、獲れたての活きたしらすを沖の船上で、即座にタレに付ける事により、一気に商品化への道が開けた。矢野は「前田さんの前向き、なんでもやってやろうの精神が無ければ決して商品化できなかった」と語っている。[要出典]しかし商品が完成して間もない2011年1月、前田は脳梗塞で倒れ、2012年に56歳で急逝した。矢野は亡き共同開発者の意志を受け継ぎ、当初の沖漬けの作法を伝えることに専念している。[要出典] タレは、矢野が薬剤師の友人に、好塩菌の腸炎ビブリオが繁殖しない塩分濃度、糖分濃度を算出してもらい、それを元になんどもタレをつくり、前田にしらすの沖漬けを作ってもらうことを繰り返し、開発をした。科学的根拠に基づいたこのタレは、神奈川県しらす協議会の公認のものとなっている。[要出典]
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