唐蘭貿易の総元締とは? わかりやすく解説

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唐蘭貿易の総元締

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 10:06 UTC 版)

高木彦右衛門」の記事における「唐蘭貿易の総元締」の解説

元禄9年1698年)、長崎町年寄筆頭であった高木彦右衛門貞親は「唐人おらんだ商売割方ならびに三ヵ一共に、総勘定元締」に任じられ、翌10年1697年)には代物替の総締役も命じられている。そして同10年に、唐蘭貿易総元締を江戸幕府から任され代物替会所設立された。 定高仕法扱い切れなかった貿易品物々交換によって取引する代物替は、元禄8年1695年)に江戸商人伏見屋四郎兵衛中国船の積戻し品を代替取引きすることを、幕府への1500両の運上納税)を条件認められたことから始まったものであった。それを2年後元禄10年に、彦右衛門2000貫目積戻し品を、不足した代って俵物によって買取ることを、2万両の運上条件認められのである元禄11年1698年)には、中国貿易に銀2000貫目分の煎海鼠干鮑鱶鰭昆布などの俵物諸色による代物替許可され唐船の数も70隻から80となったそれに伴い、彦右衛門同年4月に「異国唐船阿蘭陀商売吟味定役并(ならびに)御運上銀納方役」という勘定奉行直属幕吏身分に任ぜられた。この時より、彦右衛門外国貿易運上事務統轄することになった。こうして、彦右衛門代物替頭取とし、町年寄4人と兼任を含む請払役12人・筆者小役15人の陣容で、代物替会所改称した長崎会所正式に発足した。 彦右衛門幕府から支給され扶持米80俵だったが、実際10万石の大名上の経済力をもつといわれており、既に苗字帯刀許されていた貞親の威勢は非常に大きなものであったまた、貞親は元禄10年11月から翌11年5月まで江戸幕府の下に出頭し3月28日には将軍に「礼拝」している。

※この「唐蘭貿易の総元締」の解説は、「高木彦右衛門」の解説の一部です。
「唐蘭貿易の総元締」を含む「高木彦右衛門」の記事については、「高木彦右衛門」の概要を参照ください。

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