代物替会所とは? わかりやすく解説

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代物替会所

読み方:シロモノガエカイショ(shiromonogaekaisho)

江戸時代代物替貿易業務つかさどった機関


代物替会所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/29 06:20 UTC 版)

代物替」の記事における「代物替会所」の解説

代物替は、元禄8年8月に、江戸商人伏見屋四郎兵衛が、代替主として唐船1500分の積戻し品の取引きを、江戸幕府1500両の運上納めることを条件始められた。この時は、幕府1000分の取引認め四郎兵衛納付した運上金とは別に375貫(金換算で6250両)の純利益得た。翌9年1696年)には貿易総額5000貫分・運上金1万両で代物替貿易が行われ、伏見屋は23000両以上の純利益上げるが、翌10年1697年)は貿易額が同じ5000貫でありながら運上金は35000両に増額されたため、長崎地下(じげ)への1万両の配分金もあって、純利益5000両から諸経費差し引いた分だけとなった元禄10年には、前年に「唐人おらんだ商売割方ならびに三ヵ一共に、総勘定元締」に任じられ長崎町年寄高木彦右衛門貞近が、2000貫目積戻し品を不足した代って俵物によって買い取ることを、2万両の運上条件認められた。これを機に「代物替会所」が設立され、彦右衛門代物替の総締役を命じられた。元禄11年1698年)には代物替会所は「長崎会所」に改称され前年唐蘭貿易総元となった右衛門引き続き元締めを任ぜられた。この年には彦右衛門代物替運上方しろものがえうんじょうがた)を任命され幕府から役料として扶持米80俵を受ける身分となっていた。また、江戸商人である桔梗屋又八納屋左衛門・岡又左衛門の3名が伏見屋に代わって代物替貿易請負い年間1万6000両の運上金納めることとなった。しかし、大坂商人たちとの取引上のトラブルから調達支障来したため、勘定奉行荻原重秀元禄12年1699年1月28日長崎巡見して、長崎貿易利潤会所運営費用正確な算出調査をするとともに輸出用調達命じた

※この「代物替会所」の解説は、「代物替」の解説の一部です。
「代物替会所」を含む「代物替」の記事については、「代物替」の概要を参照ください。

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