和協報告会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/29 00:04 UTC 版)
12月21日青山学院神学部講堂で、和協委員の主催の下に和協報告感謝会が開かれた。両派の代表各25名と、キリスト教界の代表者と報道陣を含め約100名が集まった。 和協成立に関する公式の挨拶や、両団体の成立に対する祝辞や奨励が行われた。田川太吉郎、日匹信亮、千葉勇五郎、河合禎三、益富政助、矢吹幸太郎、日高善一、鵜飼猛なども出席した。 阿部義宗の司会で、星島二郎、田川太吉郎、河合禎三が話した後に、1902年に阿部は中田が聖書学校の福音音楽隊を連れて来た時に入信した思い出と、和協の斡旋に乗り出した顛末を話した。そして、車田秋次が挨拶をして、事情を説明した。中田も続いて相撲のたとえを用いて挨拶した。今回の分離は、メソジストの分派の歴史の一つであると言った。 渡辺善太が最後の挨拶を述べた。自由主義神学に立った合同は不可で、プリンストン神学校から別れたグレシャム・メイチェンのような、信仰のための分離はやむをえないとした。そして、今回の分離は、財産や権力闘争ではなく信仰の問題であることを確認した。 千葉勇五郎の祈祷をもって終わり、別室でデザートコースが開かれ、松山常次郎が司会をし、三谷種吉、野辺地天馬、星島二郎、日高善一、酒井助作のテーブルスピーチがあり矢吹大佐の祝祷で閉会した。 ここで、中田派と委員派はそれぞれ、別の教団になることになった。委員側は11月3、4日に臨時総会を開いて43名の代議員に和協分離が報告され、日本聖教会の名称が選ばれていた。 中田側は総会を開かずに、中田の意向を受けた会議で、きよめ教会と名乗ることが決定された。12月1日より、3日まで大島観光ホテルで新団体特別祈会が開けれ、1936年12月25日のクリスマスを期して、きよめ教会と日本聖教会が発足した。
※この「和協報告会」の解説は、「ホーリネス和協分離」の解説の一部です。
「和協報告会」を含む「ホーリネス和協分離」の記事については、「ホーリネス和協分離」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から和協報告会を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から和協報告会を検索
- 和協報告会のページへのリンク