同人メンバー
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同人メンバーは、1923年(大正12年)1月に菊池寛主宰で創刊された『文藝春秋』同人の中の新進作家が主体となって組織され、川端康成の主導により創刊された。 1924年(大正13年)10月の創刊号(第1巻第1号)の同人14名は以下の面々である。雑誌の装幀には前衛雑誌『マヴォ』の主導者で、川端の一高時代の後輩でもあった村山知義などが起用された。 川端康成 - 第6次『新思潮』、『文藝春秋』同人 横光利一 - 『文藝春秋』同人 伊藤貴麿 - 『象徴』同人 石濱金作 - 第6次『新思潮』、『文藝春秋』同人 加宮貴一 - 『無名作家』同人 片岡鉄兵 中河与一 - 『文藝春秋』同人 今東光 - 第6次『新思潮』、『文藝春秋』同人。※翌年1925年(大正14年)6月に脱退。 佐佐木茂索 - 『文藝春秋』同人 佐々木味津三 - 『文藝春秋』、『蜘蛛』同人 十一谷義三郎 - 『行路』同人 菅忠雄 - 『文藝春秋』同人。文藝春秋社の社員。菅虎雄の息子 諏訪三郎 - 『中央公論』『婦人公論』記者 鈴木彦次郎 - 第6次『新思潮』、『文藝春秋』同人 翌月11月号(第1巻第2号)からは、以下上部の3名が加わった。 岸田国士 南幸夫 - 『蜘蛛』同人 酒井真人 - 第6次『新思潮』、『文藝春秋』同人 1926年(大正15年)3月号(第3巻第3号)からは、以下の2名が加わった。 三宅幾三郎 - 『行路』同人 稲垣足穂 金星堂や菊池寛の意見も取り入れていた川端は、牧野信一も同人に加えたかったが、菅忠雄などが反対ぎみの意向を示し、実現しなかった。横光利一は、『文藝時代』で劇団を組織することも考えていたが、川端が反対して実現に至らなかった。 池谷信三郎も同人になる予定だったが、「望郷」が『時事新報』の懸賞小説に当選するなどして延期となり、その後『文藝時代』同人に接触してきた時には終刊近くなっていたので実現しなかった。金子洋文も同人に誘われていたが、『文藝戦線』との関係で金子が断ったとされる。
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